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「パーク・ライフ」 [reading]

 これねー。あまりのつまらなさに2ヶ月経ったら話の内容をすっかり忘れたよ。
 帯を読んでもピンと来るものはなかったんだけど、表紙の黄色いドット人間みたいな人が、そのコミカルさとは裏腹に、何気に包丁らしきものを持ってるから、そのシュールさに期待してたんだけど、この表紙から受ける印象と作品の中身とは全く関係がなかった。訴えたいくらいだよ。
 もともと芥川賞にはつかみどころのない作品が好まれるけど、これは…。なぜ?。この年はこれ以外になかったの?なきゃ無理矢理あげることないのに。本来はそうあるべきだと思うんだけどなぁ。

 これを読んで気になたのが、この作品の内容以上に、この本を買うのと前後して、どっかの雑誌が作者の新作に対するコメントを掲載していたのを読んだんだけど、そこで過剰なまでの自信を恥ずかしげもなくひけらかしていたこと。マジで?この程度の作品しか書けないような人間のそれほどまでに自信を持つ作品て?恐ろしくて手に取る気にもなれない。

 この人の描くキャラのどれにも感情移入が出来なかった。スタバみたいにすぐに風化するブランド分化を何の匿名性もなく持ち出して、しかもそれでやはりすぐに風化する時代性を描いている。なんていうか、一言で言うならば、すごく薄っぺらい作品で、何の存在感もない。そう言う時代性にすぐ左右されてしまうような、移ろいやすいテーマやディテールにばかり気を使っている様子がいちいち鼻について、音楽業界で言うところの一発屋としか私には映らなかった。そして物語は何も始まらず、何も終わらない。正直、この作品の一体なにが評価されたのか私には分らなかった。

 本編よりも更に不愉快だったのがおまけの作品で、「パラレル」からこっち、この作品に到るまではずっとこの手のテーマに当てられっぱなしだった。なぜ男の人ってこうまで性的に不実なのかと首をかしげてしまう。端的に言って、バカじゃないの?という感想しか残らない。男にはそもそもの初めから貞操観念なんてものがないのかも知れない。貞操なんて言葉とは無縁の行動をとる彼らを見る限り、きっとセックスなんて大したものじゃないんだと思わざるを得ない。セックスと言うより貞操がだな。そんなもの特に意味はないんだとしか思えない。愛してる人がいても、セックスは別腹。愛していることとセックスは別物なんだ。そしたら愛ってなんだろう。どういう性質で、どういう関係の上に成り立つもんなんだろう。貞操が妄想だとするなら、恋人なんて人間関係も成り立たないんじゃないのかな。そう考えると誰かを好きになるなんて虚しくて、割に合わない行動のように思える。

 おまけの作品では、見分不相応な夢を抱えた小市民のしょーもなく下らない、けれど逃避不可能な日常を描いている。そう言うとすごく意義のある作品を書いているみたいだけど、その概要を埋めるのは結局のところ下半身の欲望と、それを何の疑念も挟まずに行う人間の心の卑しさ貧しさだ。「ハリガネ」でも書いたけど、類は友を呼ぶ。そう言うところにいる人間は、そう言うところから出られない。例え理不尽に貶められているとしても、半分はそこから抜け出せない、抜け出すことをしない自分に責任があると言うことだろうな。

 この作品は「ハリガネ」と一緒に買ったわけだけど、わざわざこんな作品を、いくら文庫とはいえお金を出して買ってしまったなんて、読んでからかなりへこまされる話だった。

パーク・ライフ (文春文庫)


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「ハリガネムシ」 [reading]

 あまり言いたくはないが、やはり人間には性質としての品格があるということを考えさせららる作品だった。経済的な問題ではなくて、人としての品位が下流だとかそう言う話。貧しくてもつつましく、品性清く正しく、誰にも恥ずべきことなく生きている人は大勢いる。もとい、少なくないはず。だから、経済的な豊かさが必ずしも人間の品位を格上げするものじゃない。むしろ裕福そうな人間にこそ下劣な人間は多いはず。でなきゃ、世の中はいろんな意味でもっとまともだったろうと思う。

 この人は、私が思っていたよりも年配の人だったんだけど、ただそれを思わせない文体が更に以外だった。表現力っていうか、描写力って言うか、確かにこの人の文章には、年の功なのか、力があって、読んでて安心感が持てるんだけど、如何せん取り上げるテーマが…。ひどい…。これなんて言えばいいんだろう。下劣?ちょっとピンとこないんだけど、大体この吉村萬壱が好んで描く世界観自体が理解できないので表現しようがないと言うか。

 つつましく、少なくとも周りから浮かない程度に普通に生きていた高校教師の転落していく人生の様が生臭いまでに描かれている。文章にはちゃんと骨があって読み応えがあるのに、はっきり言ってそんなことには一切関心が行かないくらい、ドラマ自体は顔を背けたくなるような代物だった。私の受けた印象をそのまま言葉にするなら、「腐っていく」。そんな感じだった。この文庫にはもう一作品収められているんだけど、そっちはもっとひどい。醜い。とにかくそんな印象しか湧いてこない。
 類は友を呼ぶって言うけど、どちらの話も、醜い人たちが寄ってたかってドラマを更に醜くしていくという工程をたどる。どうしたらこんな生き方が出来るのかと、好んでするのかと、顔をしかめないわけにはいかなかった。これは堕落とかじゃない。そんな高貴なもんじゃない。最初から腐敗している何かだし、既に腐敗しているんだからよくはならない。

 そんな人間の集まりのドラマだから、性描写も尋常じゃない。文庫の帯から私が期待したのは暴力的な残忍さだったけれど、そう言うんでもなく、単純に言うと「エログロナンセンス」に尽きる。残忍さなんて気が付かないくらい、醜い性癖が作品全体を貫いている。この話の時代設定もちょうどそんな時期じゃないかと思う。帯には「残酷」がどうとかといっていたけれど、この性に対する卑しさ、醜さ、その汚濁とも取れる欲望がこの作品の、もしくはこの作家のテーマなのではないかと思った。これはどう考えても、読者に不快感をもたらすことのみを目的として書かれているとしか思えない。そんなの芥川と言うより、江戸川乱歩賞にこそ相応しいんじゃないの?歪んだ性癖をのみ生存本能としているような卑しい輩たちがひしめいているんだから。乱歩と違うのは、出演者たちがその卑しさを社会的な身分に隠しているかどうかと言う違いに過ぎない。

 主人公がカマキリをなぶりものにする場面や、職場の同僚の一挙手にいちいち動揺する様子を読む限りでは、確かにしっかりとした文章を描く才能を感じるんだけど、如何せんテーマが…。読み終わって正直気分悪くなった。こんな本を買ってしまったことを後悔したくらいだったよ。
 以後この人の作品はどんなことがあっても極力避けて生きていきたいと思う。
 
ハリガネムシ (文春文庫)


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「タンノイのエジンバラ」 [reading]

 なんだかつまんないものを何度も読まされた感じ。いや、そのまんまだけど。
 つまんないと言うか、結局ね、長編なら1冊に凝縮されているエッセンスが短編になるとバラけて、「この話にはこれが入ってる」、「別のこの話にはこれが入ってる」みたいな感じで、逆につぎはぎ感があった。本来は長編の方につぎはぎ感を感じるべきなのかもしれないけど、長編の方を先に読んでてこの短編集を後から読んだからな。
 あと、素直にこの人は短編がそんなに上手じゃないのかもと言う感想も得た。ハルキのほうが内容はくだらなくて、砕けてても、まだ作品としてまとまってるし、やっぱり総体的にうまいと思う。短編ってもののあり方、捉え方がハルキのほうが私と似てるんだろうと思う。
 他の芥川賞の作品を読んでて思うんだけど、作りすぎじゃないかな。漱石がさらっと書いた「夢十夜」みたいな世界観を必死こいて短編で表現しようとしてないだろうか。短編は必然的にそうなったものだけが短編足りえるような気がする。だって読んでて違和感があるんだよ。それだけプロットが不自然だってことでしょ?不自然だってことは、本当は短編を狙って作ってるのに失敗してるってことだよね。
 長嶋有は長編も書けないけど短編も書けない。中篇が好きなんだよ。体質的に中距離ランナーなんだろう。その距離が最も得意でいい成績を残せる。「パラレル」は長編だけど、「なんでこの話をこの尺で語りたかったかな」と思うくらいしつこいし、くどい。そしてここに収められている話のいくつかは短編と言うにはちょっと冗長なんじゃないかと思わせる疲労感が読後に残った。まあ、扱ってるテーマもテーマなら、この人の書き方も書き方なのでぜっぜん楽しくないし。楽しめない話を何度も繰り返し読まされるとさすがに「もう当分長嶋はいいです」という気持ちになれた。
 ただ、「夕子ちゃん」や「猛スピード」の良さを振り返って考えてみるだに、これらのしつこさや冗長で無駄な感じの作品を書いたのが同じ人なのかと思うとかなりのショックだ。多分、彼が本当に体調がよくて気持ちの乗ってるときの走る中篇は確かに私好みなんだろうな。

 先に言ったけど、これまで読んだエピソードの切った貼ったがそこここに出てくる。長編でなら意味を持ったそれらも、ここではしつこい繰り返しにしか響かないことにがっかりさせられる。いっそのこと書かなくてよかったんじゃないかと思う。
 同じテーマが作品をまたいで繰り返し現れると言うのはハルキを読んでて何度となく体験したことだけれど、長嶋のこれはなんていうか、ただのネタに落ちてる。ハルキのはあくまでエッセンスとか、テーマとしてある。根源的には同じものでも、その物語にあった装いで現れて存在する。ハルキの持つそのテーマやエピソードのあり方は、あたかもそのテーマに人格が与えられているようで、同じテーマが違う顔をして個々の作品に存在する。複数のテーマが潜んでいる場合もあれば、一つだけに集中して描いている時もあるように思う。だから、読んでいて『今回はこっちがテーマなのか』とにニヤリとさせられる。そして全ては「カフカ」に向かって流れていたものだと言うのが私の持論。

 「タンノイのエジンバラ」
 スピーカー屋さんなんだ。こういうのは、あー、全く分らないけど。どこがいいとか。けど自国の土地の名前を製品名してるところは好感が持てた。センスのよい国家主義だと思う。
 【TANNOY】
 http://www.teac.co.jp/av/import/tannoy/index.html
 しかし、TEACが卸しててびっくりしたんだけど。なぜ?TEACってひょっとしてオーディオメーカーなの?ま、メーカーって訳ではないのかもしれないけど、ずっとPCの周辺機器メーカーだと思ってた。なんかAV系の電器屋みたいな感じだな。変な会社。
 脱線したけど、これが一番読みやすかったと思う。好きではないけれど。そういった意味では好きな作品はこの短編集の中には見つけられなかった。
 グーフィーとプルートのネタが異様にひっかかった。どっかの映画で観たんじゃないかと思うんだけど、そう言うすぐ足のつくネタを使っていいもんかとも思った。

 「夜のあぐら」
 ひょっとしてこういうのが長嶋らしいのかもしれない。と思わせた作品だった。「夕子ちゃん」とか「猛スピード」は結局その現実の上っ面で書いたファンタジーに過ぎないのかも。つまり、この作品の方が長嶋にとってはリアルなんじゃないかと。ここに出てくるどのキャラにも感情移入できないんで、これまた読んでてそわそわと落ち着きのない感じにさせられたが、夫婦の不和と、家族の離散と、兄弟の心理的な乖離は長嶋の一番得意で描きたいものなんじゃないだろうか。つまり、家庭の歪(ひずみ)。共通してるのは、主人公はその歪に対して何もしない側にいるってこと。この次女に到っては家族のことなどどうでもいいと言うふうにすら取れる。彼女は何が理由で彼等の間に関わり合っているのかが分らない。つまり彼女自身の家族に対する主体性が見えないんだな。弟の世話も面白いからしているだけにしか見えない。両親の離婚も、姉の煩悶も、弟の無気力も、全て知っていて自分には出来ることがないと、私は無力だと言うスタンスを取っているけれど、本当はどうでもいいんだよ。家族の問題を描きながら決して核心に触れることのないこの冷ややかさは一体なんだろう。そこにメッセージがあるのかないのか。もしこれを素で描いてるんだとしたら、長嶋の家族観には相当問題があるように思う。
 あと、長嶋の作中に出てくる姉と弟という設定の距離感も私には理解できない。仲良すぎないか?気持ち悪いと思うのは私だけだろうか。長嶋の作品に出てくる弟はみんな素直でいい子だ。ただ、いい年しておねえちゃんと一緒に遊びまわったり、ましてや部屋に泊まりに行くってどういうこと?これが普通ならすごいカルチャーショックを覚えるんだけど。私が直美と仲がいいのは直美が女の子であるからであって、これが弟だったりお兄ちゃんだったりしたらまずありえない。長嶋自身がこういう構成で育ったせいなんだろうか。
 最後に、この作品にこのタイトルはどうなんだろうと思った。

 「バルセロナの印象」
 これ読んでて、友達がみんなと集まって飲んでるときにその場にいない友達から来た手紙を読んだら泣いたりしたことを思い出した。と言うくらい、なんだかOLの旅行記を読まされている気分になった。長嶋の感覚ってちょっと女っぽいところがあるからな。ただの旅行自慢だよ。それにしてもバルセロナってところが多少でもどんなんか知っててよかった。でなきゃ、よっぽどつまんないことになっていただろうな。この人、文章はきれいだけど、描写がうまいって訳じゃないのかも。

 「三十歳」
 こーれはやだった。すごくやだった。やなものがつまってる感じだった。私の嫌いな話の代表になれるかもと思った。長嶋は何がよくてこういう社会不適合のニヒルで薄情な女を描きたがるんだろう。「猛スピード」のお母さんとはまた違う。強情なりの直向さとか、愚直なまでの実直さみたいなのがない。えー、つまり日向を歩いていないという印象。「猛スピード」のお母さんは白い目を向けられても、やましいことはないというプライドがあるから津よ日差しの下を歯を食いしばっても歩いていける生きてく力みたいなのを感じたけど、これは、もやしのような感じ。この全てを分ったつもりでいるシニカルさが私にはどうしても好きになれなかった。

タンノイのエジンバラ


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「パラレル」 [reading]

 まあまあ、思ったよりも悪くないって言う程度で、どうしてもなんか気持ち悪いという生理的な不快感は最後まで拭えなかった。
 ただ、後書きに引用されていた長嶋自身のコメントも踏まえると、多分これは長嶋にしてみれば実験的な作品だったんだろうなと思う。なんとなくこの本のあらすじを垣間読むだけでも予想できたんだけど、実際にページをめくってみて日付と時間が書いてあったりするのを目にしたら、思わずみなかったことにして先に進んでしまったよ。

 冒頭から下なネタをしつこく披露されてかなり引いた。なぜ?始終風俗と性欲の話が出てくるこの作品は私にはとてもえげつない印象しか与えなかった。って言うか正直うんざりだった。皆男ってこうなのかなと思うとほんと不思議。それで離婚で傷ついたなんて、妻に裏切られただなんてよく言うよ。女を見て「まあまあ」だと自分の事はさておきランクを付けて、「性欲用」と言うその行為は完全に処理だ。それでいて処理中にゴムが取れちゃったりすると、次の生理が来るまでびくついて生活してる。お前どんだけ意気地がないんだよ。あきれて開いた口がふさがらなかった。それだから、この気分屋でなんか躁鬱っぽくも見えるつかみどころのない浮気妻ともお似合いだなと思った。読み終わって思ったのは、この浮気妻はきっとこの先も浮気を繰り返すだろうし、この意気地なしは「津田」のフラレた理由がそうであるように「青」にフラレるに違いない。

 最後、主人公が「青」とくっついたのは意外でもなかった。「青」と初めて会った時の描写で主人公が「青」に惹かれているのは分ったから。ただ、「青」的にこの意気地なしじゃ役不足だから結局別れるんじゃないかなと思った。けど、「青」は私も気に入った。特にアオイって名前が。それにしても長嶋の女の好みは分りやすい。きっと自分が主人公みたく意気地なしだからこういう強面な女性に惹かれるんだろうな。それでいてでも長嶋の描く主人公たちは決して芯がないというわけではない。むしろ、意気地はないのに頑ななまでの芯があって、その頑固さは当然のように偏っていて、周りの人間にしてみれば結局協調性がないだけにしか映らない。それでも本人はわかってもらえなきゃそれでいいと涼しい顔だ。そう言う人間を私も実際に知っている。これがまたイラつくんだ。

 話の筋として一番気になったのは、結局奥さんの心変わりの原因を掘り下げないままだったこと。二人で散々話し合ったと言うんだから、それを披露してなぜ奥さんに呆れられてしまったのか書いてもよかった。心身を失調気味だと人づてに聞かされるくらいなんだから、「僕」の知らなかったドラマが「奈美」にもあったはずで、それを知らないでいられたわけもないと思う。けど、別居した後で、それとなく、ではなく、あんなふうに見え透いた態度でよりを戻そうとする姿にはちょっとぞっとした。ましてやそれを猫の性質に並べて語られるなんて私としてはちょっと不愉快だった。今になってみれば、わざわざ神経衰弱に陥る選択をしてまで離婚したのにその後も当然の顔をして元夫の新居を訪れる元妻は「夕子ちゃん」の「長い長い別居状態にある」人の下地になってるんじゃないかと思う。

 プロットとは関係なくこの作品で最も気になったのは、男ってそれしか考えられないの?ってこと。これ本気?これが普通?別れちゃったらさ、それがどんなに未練たらしい醜い別れ方だったとしても、その半年後には自分の股間のことしか考えられなくなるような男になっちゃうんだろうか。とにかくこの男は、自分のこのメンタル的なまとまりのなさとか、社会とコミットできてない生き方はともかく、誰か、誰でもいいからととにかく女の子とくっつくこと、関係性を作ること、セックスのことしか頭になかった。なんだそれ。人間暇になったらそんなことしかやることないのか?別に出家しろとかなんかそんなことを行っているんではない。暇をもてあましてるからって、得るものの少ないカルチャークラブに行けとか、資格を取れとかなんか、そんな取り敢えず実用的に見えてその実中身は大して入ってないみたいなものに形だけでも身を沈めてろとかそんなことは思わないし、むしろそんなんだったらやらなくていいと思うけど、それにしたってだよ。なんでこんなに女のことで頭がいっぱいなの?頭おかしくない?女と見れば瞬時に採点してレベルを弾き出す。その手の会話を電車の社内で何度聞いたことか。でも聞くたびにやっぱり耳を疑う。お前ら一体なにもんだ。どの面下げて人にランクなんかつけてんだ。虫唾が走るとはこのことだよ。あんな人のクズみたいなのが人の何を採点してくれてんねんといつも憤る。

 更に不可解なのが、なぜ主人公は風俗に走らないのかということ。風俗なら利害が一致してるから、離婚して奥さんもいなきゃ、彼女もいないんだし、何も問題にはならないだろうと私は考える。この点に関しては人でなしの津田の方が仁義ってもんを心得ているような気すらしてくる。津田の間違っているところは、商売女に本気を男求めるところ。みんな仕事ですから。なぜ彼女たちがあんたの私的な欲求に応えなきゃならん?さらさらないよね。と思うんだけど、律儀に応える女の子が実際にいるから驚く。いやぁ、人間本当は何考えて生きてんだか分ったもんじゃないよね。津田が風俗嬢相手にすることを、主人公は一般人相手にする。犯罪だろ。それもどう転んでも自分が「損」をしないように、(誘ってる時点で実は既にバレバレだっつー)下心を相手に見透かされないように、色々散々アホほど無意味な考察のような計算をした挙句にだ。食事に誘って、一回目はもうカチカチになってるのを我慢して、2回目には当然のように行為に及ぶ。デートに応じた時点でどう考えても女の方は了承済みなんだから1回目を我慢する訳が私には分らなかった。なんのかっこつけ?アホか。で、愛のないセックスを後悔している話す舌の根も乾かないうちうに、翌朝目覚めたベッドの中で昨夜の思い出しながらオナニーをしようとする。脳みそ腐ってんじゃないの?で、行きつけのスナックで好みの女を目にして再びその贖罪にも近い反省の念が湧き上がってくるものの、その気概をすっかり棄て切ってやはりその「まあまあ」の女と2度目の行為に及ぶ。開いた口がふさがらないじゃんか。こんなんで何をまじめに語られても私に響くものとかもう一切ないんですけど。きっとこれ男の人の読むものなんだろうな。私が読んでも分らないようになってるんだよ。

 そもそもがこんな浅ましい男のあの奥さんは一体どんな箍(たが)だったのだろう。とても元奥さんとの音信が半日途絶えたのを気に揉んで鼻水たらして泣いた人とは思えない。それともこの薄情な奥さんの仕打ちがこの社会不適合者の心を更に殺伐としたものにさせて、ここまで堕落させてしまったんだろうか。否、これがこの男の本性だったんだろう。「まあまあ」の女とのデートに見せる余念のなさは一夜漬けなんかじゃない。明らかに経験がものを言ってるもんだった。しかし、ろくな経験を持たないんだな。

 この全編余すとこなく下世話なネタを撒き散らされた話の一番の罪は、私を悲しい気持ちにさせたことだった。男の人ってみんなこんななのかなぁ。それとも私がマイノリティなのか。

 もーーー、この話めっちゃ不愉快だった。
 でも「アオイ」って名前は気に入った。なにか特別意味のある名前だとは思わないけど。

パラレル


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「猛スピードで母は」 [reading]

 「夕子ちゃんの」を読んで、他のも読んでみたくなって、本屋さんに行ってみたけれど決めれられず、結局あるだけ買ってきてしまったうち一番初めに読んだ本。芥川賞を獲っている事は当時から知っていた。ただ、世間で言ってる前説を読んでもどちらかというと遠ざけたいタイプの作品にしか思えなかったので手にとろうとも思わなかった。ニューエイジとか、時代の寵児みたいな触れ込みにはまず手を出さない。そんな移ろいやすくて実体のないものに魅力を感じたことがない。でもそれが一方的な偏見であったということがよく分る。もうあれから3年も経ってたのか。私が買ったのは文庫だった。

 芥川賞に選らばれる作品は短い。短くて淡々としている。そしてどちらかというと生活感を感じさせない。主題はそれこそ生臭いものだったりするのに、なぜかみんなそんな直接的な生活のことを書いていてもどこかふわふわとしていて足の着けどころがないような、白昼夢めいたファンタジーみたいな印象がある。これもファンタジーといえばファンタジーか。リアルタイムjな話じゃない。過去の回想録だ。長嶋は過去を振り返るときの視線がとても感傷的だ。そんな風にして振り返ることは、きっと懐かしいというよりも、痛々しいだろうなという気さえする。なぜって、彼の幸福な思い出は必ず不幸で包まれているから。長嶋が描写するその視線は徹底してセンチメンタルだ。けど、決してメランコリックではない。彼は夢を見ているわけではない。当時の自分の純粋な感慨を、今になってみれば分る事実や現実との分析にかけて理性的に捉えようとする。だから、当時の感情は、喜びにしろ悲しみにしろ、もっと大胆なものだったんじゃないかと思う。

 「猛スピードで」は2編が収録されていて、どちらも子供が主人公の話だけれど、それを大人になった本人や、第三者が回想することで語られる。だから純粋に子供の気持ちが描かれているわけじゃない。大人になった本人がそう言っているに過ぎないのだ。大人になるまでに身に付けた色々なフィルターを通して子供の頃の感情を語ってる。文章であれ、生身であれ、子供の心象を実際に捉えるのは本当に難しいと思う。

 前編は「サイドカーに犬」。こっちの話は好きになれなかった。「洋子さん」はいい女なのに負け犬の「お父さん」に片想いで、「お父さん」には家出された「お母さん」がおり、「お父さん」はこれを前にすると逃げ出すような小さい人間で、しまいには会社の金庫を盗んで捕まる。こんな人間の何に惹かれてしまうんだろう。理解できなかった。一番不愉快に思ったのは優秀そうな「洋子さん」が愛人の子供の世話なんかするところだ。なぜ?自分との関係を清算も出来ない男の子供の世話なんて。しかも、子供の置いてきぼりは、その母親が責任放棄した結果なのに。どれだけの男だったらそこまでしていいと自分に納得させられるんだろうと思った。
 長嶋は子供の頃のエピソードをたくさん持っている。それだけに子供の描写を身近に感じることが出来る。「サイドカー」なら風船に絵を描くところろか、「猛スピード」なら雲状形定規を蛍光灯の明かりに透かしてみるところとか。この人の物語では孤独な子供の一人遊びの描写が映える。自分だけのお気に入りや癖を、その瞬間は誰にも共有できないその子だけの世界としてうまく描き出せていると思う。そこに感心した。
 それにしても、父親が逮捕されるというプロットには私もかなり驚かされた。本当にどうしようもない男だったんだなと心底あきれる。あきれる一方でだからやっぱりなんで「洋子さん」はこんな男の何がよくて付き合っていたんだかが不可解だった。
 あと、私の印象としてあまり「薫」が女の子らしく感じなかった。子供の頃の彼女をそう思うんじゃなくて、それを回想している彼女自身を。これまでで長嶋の作品は3つ読んだことになるんだけど、既に彼の描く、もしくは描きたい人間像の趣旨がつかめてしまったように思う。それを悪いことだとは思わないけど。彼はとてもよくキャラクターが描けていると思う。うーん、なんかそう言うと語弊があるんだけど、つまり、彼の描きたい人をかけているように思う。彼はこれらのキャラクターを気に入って書いているんだなというのが読んでてよく分る。ハルキなんかは不愉快なキャラもちゃんと書けるけど。桐野夏生とか。でも長嶋は多分そう言うタイプじゃないんだろう。私もそうだ。嫌いな人は描けない。描いたことがないから描きたくないというのが本当か。
 長嶋は自立した女性を描く。黙々と、歩んでいく女性というか。なんかイメージとしては、小柄なんだけど、でも意志が強くてたくましそうなしっかりとした顔つきをした女性が周りには目もくれずせっせと歩いている感じ。でも多分自分がどこへ行こうとしているのかそれほど分っているわけじゃないんだよ。それでもせっせと歩き続けてる感じ。「サイドカー」の「洋子さん」もそんな感じだった。小柄って印象はなかったけど。きっと長嶋はそう言う女性が好きなんだろう。
 そしてその一方で男はみんなダメダメだ。フラココ屋の店長しかり、「薫」の父親しかり。意志薄弱とかそう言うんじゃなくて、精神の向いてる方向がもうダメだ。なんか軟派で堅気じゃない感じ。それにしてもラストで急転直下父親が「逮捕」されるという展開は面食らって面白かった。なるほど。そう言う人間なのかとそれまで単に不快だった気持ちに一様の着陸点をつけてあげられた感じだった。

 「猛スピード」はとても素敵なお話だった。それまでの2作品が一人称だったので、ついそれでしか描けないのかと思っていたんだけど、この話は三人称だったからちょっと驚いた。最初は違和感さえ感じたんだけど、それでも読み進めてたらすぐになれた。不思議なことに長嶋の三人称は一人称となんら変わらない語り口である印象を受ける。だから気持ちよく読めた。この人は私が思う以上にいろんな描き方が出来る人なんじゃないかとそのとき思った。
 主人公の「慎」はやっぱりダメダメで、友達のいないもやしっ子だ。でも、引きこもりというのとは違う。「夕子ちゃんの」のテーマが人のことを思うことであったように、ここでも考察することが主人公の生活の中心になっている。「慎」は一緒に登下校している友達に「なんで話さないの?」と問われて曰く、
 
 「考えてるの」

 私はこの「考えてるの」と言った「慎」よりも、それを聞いて「ふうん」としか言わずに、それでもその答えを了承しきってしまったみたいな「慎」の友達の「須藤君」が好きだった。自分から進んで選んだわけでもなく、そう言う貴重な友達を得られた「慎」をうらやましく思った。
 「猛スピード」で私が気に入ったのは母親のエピソードよりも、みんな「慎」のエピソードだった。根暗な「慎」の雲形定規を蛍光灯の明かりにかざしてみるようなファンタジックな習性や、「サクラ」をずっと気にしてる姿勢や、自らに対するいじめを肯定していたつもりが、須藤君の健やかな魂に触れて(これはどこかで根暗な「薫」が、息子に理不尽な要求をするにもかかわらず反抗心のかけらもない「須藤君」を見くびっていたということだろう)、手塚治虫のサイン本を預かってくれという場面なんかには全く予期していなかったほどの感動を感じてしまった。

 作品の終わりに、このお互いこそがお互いを支えているような親子が、その絆を確かめ合う場面ではなぜだか読んでる私の方がここの澱をほぐされていくような気持ちになった。それが全くわざとらしくも、白々しくも、ましてやかっこ悪くも感じな異事がとても意外だった。普通だったら何を括弧のいい子といってやがんだと鼻であしらうような筋である。
 明け方の街に夢のように現れた色とりどりのワーゲンのパレードを、むきになって追い越していく母親と、それを見守る息子の姿は、読んでるこちらも何かを突き抜けたような、胸のすくような余韻を残す爽やかなラストシーンだった。

 今まで芥川賞ってこんなんでいいのかなと思うようなのしか読んだことなかったけど、長嶋は、長嶋のこの作品は、讃えられるに値すると読み終わって思った。

猛スピードで母は


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