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「インディ・ジョーンズ/ クリスタル・スカルの王国」 [watching]

 結論から言うと、1週間も経たないうちに観たこと自体を忘れてしまうような映画だった。
 大衆映画はよっぽど作りがよさそうとか言うんでない限り普段は見ないんだけど、観るものがないと仕方なく。

 けど、私が覚悟していたほどのつまらなさではなかった。もっとひどいんじゃないかと思ってた。けど、そこはそうはしたくなかったから結構頑張りました、みたいな作り手の作品に対する気遣いみたいのが透けて見える感じだった。シリーズのイメージを、というか、インディのイメージを崩さないようにオジサンたち頑張った、みたいな。
 なんというか、あの演出としての無責任なというか、倫理観の薄いというか、そんな社会描写とかさ。無茶にもほどがあるというアクションとか。いくら痛めつけられても死なないし。つまりは、昔お父さんが「最後の聖戦」を観ながらさんざん突っ込んでたような単純で根拠がなくて乱暴すぎる印象をなんとか現在につなぎ止めてたってこと。

 取り敢えず、50を過ぎたインディの年不相応なアクションにしらけてしまった。だって、どうやったって無理感が隠せないよ…。どうせ息子を出してくるんならインディはもっと引いた演技でも良かったんじゃないかな。それこそ「最後の聖戦」のショーン・コネリーみたいに。
 ただ、インディが50を過ぎてもあんなキャラなままなのはどうかという以前に、インディはこの映画では全く役に立たない。そんなヒーローありか。頑張るのが息子というのはまあよくある話だとして、謎を解き明かすのがすべて他力というのはどうなんだ。冒険アクションのヒーローが体のいいツアーガイドだよ。しかもこの冒険は謎ですらない。すでに誰かが解き明かした道を歩いてくるだけ。なんじゃこりゃ。誰か途中で書き直せよこの脚本。これが最後でいいのか?しかも、いかにもネタ切れしましたと言わんばかりに宇宙人なんか引っ張り出してきやがって。安易にもほどがあるだろ。インディに品位を求めるつもりはさらさらないが、たとえそれが逆の域の冒険映画だとしても、曲がりなりにも考古学を歌ってるわけなんだから、謎を説くその筋には骨を一本通してほしかった。
 あとね、観て初めて知ったんだけど、敵役にケイト・ブランシェットを起用しているんだが、別に彼女でなくてもよかったんじゃないかな。誰だって。むしろ誰だか知らない人の方がその匿名性で観てる方がもっと演技に集中できたんじゃないかな。だって、ブランシェットの演技力掬いきれてないっていうか、出しきれてないって言うか、あの演技力はもっと違うところで発揮してもらった方がよかった。
 昔起用した女優を引っ張り出してきたのも私は腑に落ちなかった。インディが女たらしなのはみんな知ってんだから、どこに何人娘息子がいたっておかしくない。なので、これも無理やりシリーズ感を出すために使い古したロマンスを引っ張り出してくる要は私はなかったと思う。それともあの女の人も考古学者だったのかな。しかし、それにしても魅力のない人だった。目ばかりギロギロしてて。それこそ宇宙人見たいだった。

 そんな感じで、イカレタというか、いっそ壊れたと言った方が相応しそうなこの映画を見てて度々私が救われた気になれたのは、脇に私の好きな俳優がでてたから。
 私、インディの息子役の子が出てる映画を何の因果か結構よく見てる。シャイア・ラブーフ。この子、結構難しい名前なのね。分かりやすいキャラなのに。「穴/ HOLES」に始まり、「コンスタンティン」、「トランスフォーマー」。その間を埋めるいろいろな作品観てる。多分ほとんど見てるんじゃないかな。だから、この映画のチラシで顔を見かけて、「出てるんだ」と思った瞬間、それがどんなポジションの役なのかすぐにわかった。それが良くないのではと感じた。彼は他に出来るキャラを探さなければならない。確かにこんな大きな作品に声かけてもらうことがどんだけ名誉かってことはあるだろうけど、どれも同じようなキャラでなぁ。チラシ見ただけでキャラバレしちゃうようじゃダメだと思う。本人がもうずっとそういうキャラでいいんだって言うならあれだけど、でもいい俳優だと思うからもったいない気がして。いつかそういう変化点を作品で見れることを期待している。
 あと、インディの同僚に「アイリス」でアイリスの旦那さん役をやった人が出てた。この人好きだ。言われて気がついたけど「ブリジット・ジョーンズ」のお父さん役だ。この人はそう言う繊細な役が得意なんだな。繊細な人間が得意だなんてまれな才能だと思う。でも、この人が自宅でインディの荷物をまとめるのを眺めながら、片手をパンツに突っ込んでグラスを傾ける姿は、素朴な演出なのにとても感じが良かった。きっとこの人の貫禄が勝手ににじみ出てきちゃったんだろうなと思った。
 最後がジョン・ハート。「コンタクト」で一目惚れしたおじいさんだ。「コンタクト」のハデン役はかっこよかった。プログラムを見て知ったんだけど、この人は「エレファントマン」の人なんだってねえ。まああれじゃ顔では気付きようもないが、私も「エレファントマン」はちゃんと見たことがない。面白そうではあったけど。あと、やっぱり、「ハリー」に出てた杖のお店の店主はこのひとだったのね。あと、「ヘル・ボーイ」の博士も。「ヴェンデッタ」もこの人だったとはちょっと気が付かなかったな。最後の2つはハデンにはつながってなかった。つまりこの人はかなりカメレオンな役者なんだね。杖売り屋の時はハデンのイメージが近かったからわかったけど、「ヘル・ボーイ」の博士はすごく柔和だし、「V・フォー・ヴェンデッタ」はファシストになりきれない安っぽさがあって。この人、オスカーにもノミネートされるような逸材なのにどんなに小さな端役でも手抜かずに仕事をしてて、しかもちゃんとキャラを作ってるんだなって分って改めて感心した。
 しかし、これだけの俳優使ってて作るのはこの程度の作品だもんなぁ。なんかもったいなくて。SFX使ってりゃ話は足りるんだから、端役はもっと誰でも良かったと思うんだけど。

 で、そのプログラムなんだけど、こ映画のプログラムは最悪だった。映画のプログラムを買ったつもりが、半分以上が通販のカタログとTVドラマの解説と、最後にはスタッフロールに3ページを使うという、手抜きよう。俳優の出演作品の紹介もかなりおざなりで、通販ページのカタログの方が情報いっぱいあるくらいだ。私は一体何にお金を払ったんだ。

 観に来てるお客さんを見て、時代の移り変わりを感じないわけにはいかなかったな。私が「インディ・ジョーンズ/ 最後の聖戦」を観たのっていつだっけ。中学生だったかな。高校生?家族で観に行ったんだ。5人いるからさ、横に並ぶとはじとはじは結構離れるんだけど、お父さんは学生の頃のノリなのか、離れて座ってる私に身を乗り出して「あんなんあるわけねーじゃんなぁ?」と大きな声出して言ってたっけ。平和な時代だったなぁ。あの頃以前の人たちでなければインディをリアルタイムで見ていない訳だから、あの場にいた若い子たちはきっと他に観る物がなくて、中高年の人たちは逆に少しでも分る映画が他になくて、これを観に来てるんだろうなぁとか思って感慨深かった。
 時間が流れている。
 お父さんに見せてあげればよかったかな。
 お父さんんはあんなんでも喜んだかもしれない。昔の思い出のために。

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「ゼア・ウィル・ビー・ブラッド」 [watching]

 もう先月終わっちゃってると思ってマークしてなかったから、やってるって聞いた時はちょっと驚いたけど、飛びついた。どっかと入れ替えでやったのかもしれないな。ポール・トーマス・アンダーソンは苦手だけど、ダニエル・デイ・ルイスがオスカーを獲ったって言う、しかも芸能界を引退する理由だった靴屋を辞めてまで手を出したっていうのがどんな仕事か見てみたかった。だって、オスカーでのこの作品の存在感て、デイ・ルイス以外になかったから、きっと作品自体はそんなに評価されてないんだろうなと思ってて。そしたらデイ・ルイスの演技だけ光っちゃってるってことになるでしょ?他の全体的に評価されてる作品の主人公たちを押しのけて。それを見てみたかった。ポール・トーマス・アンダーソンだけど。

 ポール・トーマス・アンダーソンって男受けする監督なのかもな。今回のプログラムで初めて顔見たけど、なんか誰かに似てる。どこかで見たような顔しててなんか腑に落ちない気持ち悪さが残った。
 話が逸れたけど。
 「マグノリア」を好きだって言う男の人が私の知ってる人に多くて驚く。そして、その人たちは不思議なことに「ハイ・フィデリティ」も好きだ。なんか男好きのする条件て言うのがあるのかもな。まあ、当然男が主人公なんだろうけど。で、私はそう言う彼らがいいと思う映画は大抵苦手なの。なので、私は「マグノリア」みたいだったらどうしようというのが唯一気になっていたことだった。

 電車遅延で頭の5分10分位を見逃したが、痛々しいシーンだったので、だし、後から思うに、うーん、それほど作品の本質には影響なかったんじゃないかなと思う。
 本編上映中の館内に入った途端、デイ・ルイスが穴から落っこちてきた。苦しさに喘ぐデイ・ルイスの演技は真に迫りすぎて耳に不快なほどだった。この「不快」というのはこの映画の重要なエレメントだ。作品中盤に差し掛かるまで、スクリーンに映っている内容とは全く関連性、もしくは必要性を見いだせない不快な効果音で館内は満たされている。そうだな、私は「シャイニング」を思い出したよ。けどね、キューブリックの狙いは不快じゃなくて、恐怖心だ。人の不安や恐怖心を最大限煽る音というのを誰よりも心得ていた人だと思う。「シャイニング」しかり、「2001年」しかり、「アイズ・ワイド・シャット」でさえ私は『おっかねーーー』と思ったよ。だから狙っていることがキューブリックとアンダーソンでは本質的には違っているんだけど、人の本能的な感情に、それもネガティブな感情を煽るってところで私の中でちょっと重なったの。でもおかげでおやつを食べやすかった。が、問題なのはそのおやつを食べる気もそがれる勢いで不愉快だったということだ。あまりの不愉快さに上映中少なくとも3回は「この効果音やだ」と無意味に訴えたよ。しかしもちろんこの虫唾の走るような不快さは監督が作品を仕上げるにあたってこだわった演出の一つだ。ということを観終わった後で知った。まーしかし、要は、その不快さが『必要なのか?』っていう気持ちが見ている当初から拭えなかったってことだな。ちなみに、効果音のことはプログラムには何も書いてなかったと思うんだけどな。

 しかし、すごいよ。すごい。デイ・ルイス。圧巻だった。私ね、デイ・ルイスの作品いくつか見てるけど、実はこの俳優は好きじゃなかった。いい仕事はするんだろうけど、それほどか?と思ってた。つまり、みんながちやほやするほどのものなのかって。確かに仕事はしっかりしているかもしれない。年とて貫録も十分だ。「ギャング・オブ・ニューヨーク」なんてクソな映画に出てもこの人だけ曇りもしない。はっきり言って他の奴らがデイ・ルイスの共演者として足りてないくらいだった。だから、実際この人の実力がどこまでなのか測りかねてた。「マイ・レフト・フット」はアカデミー好みの障害ものだし。「エイジ・オブ・イノセンス」は題名からして繊細過ぎる演技が鼻につく。しかしこの役は……。まさに怪演だよ。これがデイ・ルイスか?と思うほど、デイ・ルイスはこのダニエルって役になりきってた。魂が入ってるって言うか。大抵の人はどうしたって役者の顔が見えてしまう。「アンジェリーナ・ジョリーが社会派人間を演じてます」みたいな。結局演じてる俳優の看板がスクリーン上にどっかと鎮座ましましててその看板の存在感を役者の演技や技術と取り違えるきらいもあるくらいだ。と言うか、いわゆるハリウッドの娯楽映画って言うのはみんなそうだと思うんだけど。
 でもこれは、間違いなくデイ・ルイスの代表作になると思う。デイ・ルイス自身、今回の自分の仕事には相当の自負があるんじゃないかな。あったとして当然だと思う。それくらいの仕事をしてるよ。今考えると、マーロン・ブランドの「ゴッド・ファーザー」並にその人の俳優人生におけるマイルストーン的な存在の作品になるんじゃないかな。むしろ、このあとこれ以上の演技ができるか心配になるくらい。また靴屋さんになるのかな。それだとちょっと安心。

 最初の方、全然セリフがない。それが好ましかった。のに、あの音だ。あのギャップには随分苛々させられたよ。監督は明らかにセリフを入れていない。デイ・ルイスが穴から落っこちても、土壌成分を調べてる最中も、危険極まりない環境で仲間と掘削してても、それで仲間が死んじゃっても、はたまたそんな風にして両親に先立たれた不運な赤ん坊をあやすんでも、ダニエルはうんとも言わない。列車の中でみなしごになってしまった赤ん坊と見つめあうシーンはきっと誰だって心打たれるはずだ。ああいうシーンに演出はできない。言葉もわからない赤ん坊と、その親でも兄弟でもない強面のおじさんだもの。雲間から一筋の光が射すようなその瞬間が来るのをじっと待つしかない。けど、この作品はそんな非常に稀な幸運に恵まれたんだな。赤ん坊がダニエルの口髭に触れた時のダニエルの顔。あれが忘れられない。ここまでを見る限り、寡黙なダニエルは純朴で心優しいけれど変人、的な印象だ。しかし、これが石油王になった途端機関銃のように喋る。ダニエルはその時々で必要な諸施術を身につけていくことができる柔軟で合理的な人間であることを表現していると思う。数人の仲間で井戸を掘ってた時とは人が違ってしまったみたいなダニエルを怖いとすら思うはずだ。あの威圧感はマフィアに相当すると思う。
 でも、 きっと役のダニエルもデイ・ルイス自身も子供が好きなんだろうなと思う。プログラムにもちょうどそんなシーンが残されている。多分、映画には使われてないと思うんだけど、HW役の子と、ダニエルがふざけあってるというか、談笑している場面だ。HWってなんの略なのか結局分らなかったな。あんな人間関係があったから二人のいるシーンはしっくりきたんだろうな。HWの耳が聞こえなくなったとき、油にまみれたままで二人で床に転がって抱き合ってたのに、お前の言う神がいるなら息子の耳を治せ!と神父を殴り倒しまでしたのに。年を取って不信を経験し、偏屈になって、素直な気持ちを伝えることが出来なくなってしまったダニエルが気の毒だった。不器用故にあんなやり方しかできなかったけど、HWをろうあ学校に入れたのを人に「息子を見捨てた」と言われてしまったのが気の毒だった。そして自らもそれを責めているのが。だけど、HWが彼のそんな不器用さを既に許していただけに、最後のもの別れは痛ましかった。でもきっとHWのことだからいつかダニエルの顔を見に帰ってきただろうけれど。
 ダニエルには家族に捕らわれている。自ら孤独な人生を選んでおきながら、それでいて自分の家族に強いこだわりを持っている。題名はそこから来てるのかな。でも、物理的な血じゃないんだよ。HWは実の息子じゃないもん。けど、自分に弟がいるって知った時の動揺、すかさず妹の安否を尋ねる気遣い、偽の弟と自分が生まれ育った家や土地の話をするときの目の輝き、そしてそのひと時が偽りであったと知った時の彼の文字通り爆発するような感情は、彼が身内にこだわっている証拠以外の何物でもない。この映画はダニエルがどう石油王になったかということは描いても、ダニエルがどう育ってきたかということには光を当てない。だからなぜダニエルがここまで家族に執着するのかはちょっと想像できなかった。

 最初にポールを見た時から、『なーんか、どっかで見たことあんなぁ』と思いながらも、またどこで見た誰なのかをまったく思いだせずにいた。プログラムを見てびっくり。「リトル・ミス・サンシャイン」のお兄ちゃんだった。おおう。どおりでこんなにいかれた演技。「サンシャイン」の時もかなりキレてたけど、今回はなんと1人2役だ。すごい出世だな。だって、オスカーレースに出るような作品でデイ・ルイスの向こうを張った敵役だよ?まあデイ・ルイス相手に腰が引けちゃってるのが見てて痛々しかったけど、しょうがないよね。キャリアが違うし。私だって、デイ・ルイス目の前にしたビビると思う。ビビると思うが本気で殴ると思うよ。ということは、あのへっぴり腰はわざとなのかな。神父の、牧師だったかな、イカレタ感を出したくて。だって、イーライのに比べたらデイ・ルイスは100%本気で殴ってるからね。イーライの細っこい体じゃその衝撃を受け止めらんないくらい。ああ、100%と言えば、HW。HWは若気の至りなのか、怖いもの知らずなのか、はたまた演技というものを知らないのか、思いっきりグーでデイ・ルイスを殴るんで、殴るだろうなと思っていた私でさえちょっと驚いた。

 今回のプログラム、どういうわけか「ノー・カントリー」のと似たようなブックサイズとデザインなんでちょっと面食らった。

 この映画にデイ・ルイス以外のスターは出てこない。この映画は完全にデイ・ルイスのものだ。そしてそれで作品が成り立ってしまっていることに言葉をなくした。寡黙な野心家が狡猾な事業化になり、頑固で寂しい老人というなんか一見陳腐ともとれるプロットを人を圧倒するまでに惹きつけるのは、それを支えている怒りや狂気、憎悪なんだろうと思う。普通の人が大事にする愛情や信頼を肥やしにして、またせざるを得ない道を選んだわけだけど、ダニエルはそう言う黒い精神を養ってきた。必要のために。それが深みになっているんだと思う。デイ・ルイス、さぞ満足だろう。これほどオレオレな作品で賞を獲れたんだから、これほどの誇りはない。全編オレの作品で主演男優賞。こんな自慢なことはない。そんな作品で取られちゃ誰もデイ・ルイスを否定できない。すごい。すごいなぁ。もう最初から最後まで

 デイ・ルイスに乾杯!(完敗?万歳!かな)

 って言うような作品だった。

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