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お召し [Journal]

「もう1冊」

と思ってた。

エーコが死んだのを18時のBBCの特番で流れるテロップで知った。
もうそろそろそんな時期だろうなとはしばらく前から思っていたけれど、
それでも昨日から通勤に「バウドリーノ」を携えていた私としては、
思わず悲鳴をあげちゃったよ。

一大事だが、日本のテレビはどこもそんなこと話してなかったし、
今年はボウイ以降、かつて浮名を流したおじさんたちがぽつぽつ死んだから
誰か著名人が死んだって話題にはテレビ的には食傷気味なのかも。
ネットの主要ポータルもまだニュース乗せてなかった。
ネットのが反応早いかと思ったけど。

でもソネブロのブログネタは外資系だから、時々日本のニュースでは
取り上げない面白いトピックを見つけるんで、そっちならあるんじゃないかと思ったら
ちゃんとあった。やっぱりね。

書かなくても、90までは生きてほしかった。
生きて彼がノーベル文学賞を受けるとこを見たかった。
村上春樹より前に。

日本では22日に「プラハの墓地」が発売されるけど、
死ぬのはもう1冊書いてからと願ってた。
なんとなく彼の仕事のペース的に、何かしらすでに書いてるんだろうなとは
思ってたんだけど、彼の死を意識してからは、死ぬのは長編をもう1冊
書いてからと願ってた。
長編といっても、エーコにかける期待だから並みのやつじゃない。
「バウドリーノ」や「フーコー」みたいに上下巻に分かれて、併せて買ったら
7~8,000円するやつ。

最後の作品は、それくらい読み応えのあるやつを残してほしかった。
別れの時間が長引くように。

高校2年生の時に「薔薇の名前」を読んで以来の付き合いなので、
彼の作品がもう読めなくなるのかと思うとほんとにさみしい。
高校生の当時は何行かづつ読み進めるのが精一杯で、読めても
何を言っているのさっぱりかわからないから、同じところを何度も
読んで、最後まで読んだけど言ってるとこの3割くらいしか分からなくても、
その時にはすっかり自分が読んだもの、想像のうちに目にしたものの
面白さに魅了されて、「フーコーの振り子」へと進むことになる。

学生の時は、全然ほんとに何言ってるのか分からなかった。
前述の2作品は今読んでも高度に専門的すぎて難しいと思う。
エーコの話してる世界を理解したくて、派生本的なものも何冊か
買ったけれど、それらは今も本棚の肥やしとなっている。
だけど不思議なことに、それらの参考書を読まずとも、ただ年を
とったというだけで、読むたびに、薄皮を剥ぐようにではあるけれど、
以前よりすんなりと自分に話が入っていくのを感じることができる。
ひょっとしたら、80まで生きれば、彼の言ってることを大体理解
できるかもと思ってしまう。

彼は基本的に、というか、性根がアカデミックな人間だから、
彼の作る物語を余すことなく楽しむには、高度に専門的な歴史的、
宗教的、美術的知識が必要とされるんだと思う。
だけど、それを知りたいと思うちょっとの探求心とユーモアを解する
心があれば、彼のドラマの面白さを理解するには十分だとも思う。

私のベスト・オブ・エーコは、「前日島」かな。
初めてエーコの言ってることがすんなりと耳に入ってきて驚いた作品。
社会人になってから刊行されたんだけれども、まだネットが社会に
普及する前だったから、彼の新刊が出ていることにその本屋で目にするまで
知らなかったんだけど、図らずとも私が手にしたそれはなんと初版本だった。

「フーコー」もそうだったけど、「前日島」はラストが一番好き。
締めくくりを物語の中で一番かっこよく、印象的に演出できるなんて、
物語の中で一番輝く部分を、ほんとに最後の最後の瞬間に持ってくるなんて、
読後思わず抜け殻になっちゃうよ。
センスというより、純粋に彼の才能だろうな。

こうして改めて彼の作品を振り返ってみて気が付くことがある。
私、ウェス・アンダーソンの作品が好きで、全部見てるんだけど、
私が好きだなと思うエーコの作品とウェス・アンダーソンの作品の
間には年の離れた師弟愛という共通点がある。
ウェス・アンダーソンの作品では常にそれが物語の土台だ。
で、私が好きな作品、たとえばそれはエーコの作品でなくてもよいのだけど、
ル・グウィンとかコニー・ウィリスでもいいんだけど、
で考えたら、どれもたいてい年老いたメンターのもとで成長する若者の話で、
私は常にその年老いたメンター(そして常に男性である)のほうがお気に入りで、
物語の中で指導者の登場が少なかったり死んだりするとがっかりするくらいだ。
ウェス・アンダーソンはエーコを読んでるだろうか。
エーコの話をどう思っているかな。

明日「プラハの墓地」が届く。
公式な発売日は22日だけど、Amazonはすでに今日ポチっとできた。
彼の最後の作品だからじっくり読みたい。
そしたら「薔薇の名前」にさかのぼって一気読みしよう。

年取って、余裕ができたら(というのはあまり想像できないけど)、
エーコーの監修した美術史の本も読んでみたい。
高いんだよね。
まあ、美術関連の本はなんでもそうだけど。

実は、生まれてこの方、将来どうしたいとか、個人的な夢みたいなのが
まるでイメージが持てなかったんだが、ほんとについ最近、ふと、
将来は毎日好きな本読んで暮らせたらいいなと思いついた。
そんで、読んだものの感想文を書いて過ごしたいなと。
突然そんななことを思いついた矢先に彼を失ってしまうなんて、
なんだか出鼻をくじかれたというか、目標を奪われたような気さえする。

「バウドリーノ」を読む前は、コニー・ウィリスを読んでいて、彼女が死にや
しないかと内心心配してた。彼女ももう若くはなし。
できれば彼女にはオックスフォード・シリーズに決着をつけてか死んでほしい。

「バウドリーノ」のオットーの言葉を借りれば、彼は、
「この世を去る。天に帰るとも言える」。
私は彼が天に召されたと考えたい。

神様が彼を人間に預けておくのをあと数年も我慢することができなかったのだろうと。
でも、エーコは地上から引き離される代わりに、とうとう人類が初めて言語を有する瞬間を、、
牛を見て「ウシ」と呼ばわる瞬間を目にし、言葉と記号に関するすべての謎がついに
彼の前に明らかにされる。
そうして彼は永遠の安らぎを得ることができた。
そう思いたい。
私が願うより早く死んでしまったのだから。
いま生きている私には決して超えることのできない永遠の向こう側に。

「バウドリーノ」のメンター、オットーは続けてこう話す。
「それは主の思し召ししだい。神意を議論すれば、今この瞬間にも雷に打たれかねないので、
わずかに残された時間を有効に使うほうがよかろう」

だから私は、私に残された時間でできるだけじっくりとエーコの作品を読もうと思う。
彼の言葉によく耳を傾けて、できれば死ぬまでにある程度理解したいと思う。
だって彼はずっと私の秘密のメンターだったのだから。


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