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「借り暮らしのアリエッティ」 [watching]

 このレビューは書きづらくて悩んでしまって、観た後暫く手をつけられなかった。
 というのも、ツレは面白かったと言って喜んでいたから、それはそれでよかったんだけれど、私自身は正直、「面白い」とは程遠い作品だと思ったので。

 例えて言うなら、コーエン兄弟は、3回に1回くらいの割合で良い作品を作ると言われているけれど、ジブリ作品の良しあしもそれに似ている。個人的にはジブリ作品の方がそのインターバルは大きいと思ってる。
 「アリエッティ」が駿監督の作品でないことは、なんと観終わってプログラムを読むまで知らなかったんだけど、しかし、この中途半端さはだからこそかと納得もした。
 思うにやはり、駿の作品づくりにかける情熱とか、思い入れとかって言うのが人並み外れているので、いくら駿が元ネタを出したところで、それを他の人間が手掛けるのではこの程度だということなんだろう。「ゲド戦記」もそうだったじゃない。やっぱ思い入れの強い物の方がいい作品になるよ。普通。

 まずこの映画の最初の罪は、主題歌を日本語で歌わせていること。いいじゃん、原語で。彼女が自分の言葉で歌ってるのを聞いて気に入ったんでしょ?なんでわざわざ彼女にとって意味の分からない日本語で歌わせるの?どんだけ尊大なんだよ日本人。無理矢理外人に日本語で歌わせたところでいい歌であるわけがない。原語で歌ってる曲に惚れたんなら、映画も原語での曲を採用するべきだった。歌ってる本人だって思い入れが違うよ。なんだって日本語でなんか歌わせようと思ったんだろ。子供たちが歌えるようにとかいう気遣いなら、そもそも外人なんか採用すんな。しかもだ、そこまでさせて、ちっとも印象に残らない曲だった。歌手としては歌い損だぜ。

 アリエッティはもちろん駿好みの「強い」女の子だった。初対面の人間の男の子に「君たちは滅びる運命だ」みたいな不躾極まりない言葉を浴びせかけられても、気丈に自分の将来の展望を持って反論するという度胸がある。とても初めて人間を相手にしているとは思えない。きっと子供だからなんだろうなと思った。怖い物がないんだよ。怖い物を知らないって言うか。ポッドやホミリーではとてもじゃないが、人間とそんな風に語り合おうなんて気は起こさないだろう。実際、人間に見られたかもしれないという可能性をほのめかしただけでもポッドは、二度と近付かないようにとアリエッティにピシャリと言いつけた。という言いつけにあっさり背いて男の子に会いに行くアリエッティ。愚かだ…。愚かだが、若者らしい好奇心だなとも思った。若い頃は、怖い物がない上に、視界が狭い。自分の世界だけで完結しちゃってるから、まさか自分の思慮を欠いた行動が自分たちの生活を脅かすようなことで、ましてやお母さんを人間に捕られて瓶詰めにされるような事態を招くとは思いもしなかった、と後で振り返って反省することなどを思い付きもしないくらいだ。これらの災厄はみんなお前のせいだというのに。アリエッティ。アリエッティに兄弟がいたならきっともっと違ったんだろうなと思う。はやり、子供は家庭に兄弟がいた方がいいね。

 翔って男の子もヘンだった。驚かなさ過ぎだよ。いくら心臓が悪いからっつったって。せっかく夢の小人に会えたんだからさ、子供らしい発見の喜びとか、興奮があった方が、アリエッティとの出会いがもっとこのヘタレ少年にとって意味深い物になっるってことが観てる方に伝わったんじゃないだろうか。
 普通、小人なんか見つけたらびっくりしないか??いくら心臓が悪くても。息を飲むくらいのことはあっても良かったと思うのに。なんつーか、この病弱少年のおかげでこの映画は、特に微妙であるはずのアリエッティと少年の間柄は、ひどく緊張感のない物になってしまっていた。なんだかもう、最初からそういう関係であったかのように振舞いやがってつまらない。この家には小人が出ると知っていた少年の方はまだしも、日々人間という存在を警戒しながら生きているはずのアリエッティが病弱少年になれなれしすぎるのが鼻に付いた。違う価値観の世界に住む二人が助け合う話なんだから、二人の絆がそれほどまでに深まっていく過程をもっと丁寧に描くべきだったと思う。そしたら私ももっと感情移入出来たよ。
 しかし、ジブリ作品でここまで魅力のない男の子キャラはめずらしい。これも駿作品でないせいかしらと思った。

 緊張感があったのはむしろ人間関係の方だった。小人手に入れたさに、家主が預かってる子供を部屋に閉じ込める老家政婦の姿にはぞっとした。この映画で一番緊張感の入る瞬間だ。本当に危険なのは、特別な人じゃなく、普段からあなたの一番近くにいる人というホラー。おばあさん独特の邪悪さってあるじゃない?舌切り雀の昔から、悪いおばあさんて言うのはいて、そう言う人は、隣人に対して不寛容で、疑り深く、嫉妬深い。それゆえに目をつけたものがあると、そのために他人を出し抜こうとしたり、陥れようとしたりする。しかも、恐ろしいことに、やってる本人はそれが人として恥ずべき行為であるなどとは露ほども思っていない。罰が当たるまでは。それをハルさんでよく表現で来てたと思う。

 そして、なにより残念だったのは、私はアリエッティの住むミニチュア世界をそれほど魅力的とは思えなかったことが、この作品を楽しめなかった大きな理由だと思う。だって、なぜ生活様式が西洋風なのだ。先祖はヨーロッパから渡って来たのか。そして、借り暮らしとは言いながら、きっと返すことはないのだろう。まあ、元ネタはイギリスかどっかのおとぎ話とは聞いていたけれど、まさか生活様式そのまんま持ってくるとは……。そりゃ滅ぶよ。ていうか、人から盗んで生きてるなら遅かれ早かれ見つかると思うよ。

 そんな中、突如現れたよその生き残りがジムシーだったのには驚かされた。ジムシーの先祖って小人だったのか……。声優に藤原竜也を当てているけれど、台詞なんてあったっけ?って感じ。
 ジブリは「もののけ姫」辺りから芸能人を声優に当てるようになったけれど、私は基本的にそれが好きじゃない。ハリウッドのアニメ映画なんかはもっと露骨にやるけれど、役のイメージに合った声を持つ、アテレコが上手い芸能人なんて殆どいない。なぜ素人じみた演技しかできない芸能人なんか使ってわざわざ作品の出来を下げるんだろう。なぜプロフェッショナルな声優を使わないのか理解に苦しむ。

 理解に苦しむと言えばラストシーン。薬缶はまずいだろう。薬缶は。そんなのすぐ見つかるって……。
 しかもロープのガイドまし付いてるんじゃん。まあ、よしんばロープは使用後取り外すんだとしてもだよ、川の上を薬缶で移動するというだけで十分目立ち過ぎなのに、ましてやその蓋の上に乗って木の実なんか食べてるようでは、とても住み慣れた家を捨てる羽目になった理由をアリエッティが反省しているとは思えない。確かにあの家族はたくましいが、娘のその向こう見ずな性格ゆえに、病弱少年の預言の通り、いずれ遠からぬうちに滅ぶであろう。
 あんなに堅実なポッドが持ち前の「慎重さ」を娘に教え込まずに、あそこまで好奇心を野放しにしておいたのが意外だ。自分たちは遠からず滅ぶ運命だからとあきらめて好きにさておいたのか。まあ、森に引っ越したら人間以上に獰猛な敵はわんさといるから、娘も嫌でも「慎重さ」を学ぶだろうけど、学んだときにはもう死んでるかもしれんな。

 駿も最近は後継者育成を気にしてるような製作をしているけれど、私たちもあといくつ本人が手掛けた作品を観ることが出来るのやら。個人的には、自分の亡きあとを憂いで、後継者育成と言ってヘタに他人に自分のアイディアをいじらせるよりも、死ぬまで自分の手で一生懸命作品作って後は知らんてやった方がベストだと思うんだけどな。それが一番いい後継者育成になると思うんだけど。
 つまりね、ボスの目の黒いうちは誰もジブリの看板背負ってのびのびとなんか仕事できないんだから、だったらボスが好き勝手にやって、たくさんいい作品を残して、生きている間は精一杯仕事をしてる姿を見せてやることの方が後に残される人間にとっては勉強になるんじゃないかなってこと。
 まあ、本人にはそんな気はさらさらなくて、後継のことなんか気にしておらん、単に若いもんにチャンスを与えているだけだって言うかもしれないけど。
 だったら、そのチャンスが十分に活かせていないみたいなので、やっぱり自分で作ってくださいと私は言いたい。

 久しぶりのジブリ作品だったけど、観た感想は残念としか言いようがなかった。
 監督が駿でない分、それもいたしかたないのかなと思うので、ここはぜひ見逃している「ポニョ」と「ハウル」を観てみたいと思う。実は「ハウル」は昔から気になっていたんだけれど、キムタクが声をやっているというので、どうしても観る気がしないのだが、「アリエッティ」がここまで期待外れだと、過去に見逃した作品に当たりがあったのではと思いたくもなるもの。
 キムタクがやってないブルーレイとか出ないかな。
 ね。


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「インセプション」 [watching]

 面白かった。
 連れは当初からこの映画に関してはいまいちな反応で、観逃しちゃっても良さそうな感じだったのだけれど、映画館を出てきたときに「映画館で見てよかったね」と言ったのは連れの方だった。
 そうだろうとも。

 私としては、「ダークナイト」のあの、執拗に執拗に、練りに練って考え抜かれたプロットに比べちゃうとやはり、細部における完成度がいまいちな感が残ったけど、それでも十分見応えあったし、見どころいっぱいで面白かった。
 連れがあまりに乗り気でないので、とうとう見逃してしまうかと半ばあきらめていたけれど、これを劇場で見れたというだけでも満足のできるものだった。
 それと、日に1回午前中にしか上映がなくなるほど、つか、観に行った次の日にはブルーレイの予約が始まるほど公開から時間が経っちゃってても、プログラムがまだ残っていたということも、作品に満足できた大きな要因であった。
 みなさん、プログラムは映画を見る上には欠かせないアイテムですよ。

 世の中には劇場で観なくてもいい作品と、劇場で観ないと作品本来のダイナミックさを味わえなくて作品の楽しみが半減する作品とがある。
 この作品に限って言えば、劇場で観れなかった人、非常に残念だと思います。
 私もプログラムを読むまでは知らなかったけれど、ノーランはアンチ・デジタル派だから、劇場で観てもデジタル映画独特の画面のチラつきとか、パンした時によく出るパンの速度に画面が追いついてないみたいな、気持ち悪いぼやけとかもなくて、素朴に画面の迫力を味わえた。あきらかにいまいちな3D技術がもてはやされる昨今にしてはめずらしく味わい深さのある作品に仕上がっているのも非常に好感が持てた。つまり、おかしな話だが、3Dでない方が、直観的に映像の迫力を味わえた。この映画を観て改めて思ったけど、真面目に丁寧に作るなら、ヘタに3Dにするよりも、鑑賞者に訴えられるものは多いんじゃないかな。
 私はあんまり3D映画には興味ないな。「トイ・ストーリー3」は観たかったけど、それは別に3Dでなくても観たかったし。

 映画始まってすぐにある男の子が気になった。毎度おなじみの、『私、どっかでこの人観たことあるな』と言う感覚。その顔と細身な体からはちょと想像しないような、デカプリオのそばで、結構堂々とした役回り。その子の顔が映し出されるたびに、『どっかで観たような……』と頭を悩まして、ある時チーン!と符合する。思わず、「この子、ヒース・レジャーにそっくりだよ」と連れに耳打ちした。ほんとにヒース・レジャーにそっくりだ。嘘だと思う人はこちらでご確認ください。彼が熱心に話す様子なんかも見れて面白いですよ↓↓↓。
 hitRECord
 (Googleの検索窓に「hitre」まで入れたら完全一致の候補が出てきた。スゲ……。そんな有名なサイトなんだ……)
 この子は映像や音楽のインディペンデント活動にご執心のようで、その辺りもノーランに気に入られた一因かしらとこのサイトを見て思った。彼のそういう活動が報われるといいなと思う。

 そして気が付けば、脇はノーラン・バットマン・ファミリーが固めてるんじゃないか。渡辺謙もそうだけど、スケアクロウもいて、『スケアクロウ役の俳優(キリアン・マーフィー)気に入ってたんだ…』と思ってびっくりしたし、しまいにゃアルフレッドまで出てきた。アルフレッド(マイケル・ケイン)は「バットマン ビギンズ」以来、ノーランの映画にはずっと使ってるんだって。おお、そう言えば「プレステージ」にも飲んだくれのインチキ師匠役で出てたわ。つーか、そういや「プレステージ」にはバットマンも出てたな。なんじゃい。
 話が逸れたけど、そこへ来てヒース・レジャー似の男の子。本当はヒース・レジャーを使いたかったのかなと思ったけれど、ヒース・レジャーと、ヒース・レジャー似の男の子とでは、纏ってる雰囲気がまるで違う。ヒース・レジャーの顔つき、体つきじゃ、どうしたってあのヒース・レジャー似の男の子が見せる洗練されたエレガントな佇まいは引き出せない。ヒース・レジャー似の男の子には、もともと育ちがいいのかなと思わせるほど品の良さが表面ににじみ出てしまっていた。それがとても好印象で作品自体を引き立てていたと思うので、ヒース・レジャーが生きててもきっとこの子を使っただろうということで連れとは意見が一致した。
 この映画では、ヒース・レジャー似の男の子(ジョセフ=ゴードン・レヴィットって言うんだけど)が一番すてきに見える。レオのカウンターを務めるかなり大きな役どころなのになぜか、終始地に足の着いた演技で、所作に無駄な緊張感がなくて(おかげで怒るシーンでは迫力に欠けたが、元来怒るのが難しい人なのかもしれない)、しなやかな感じなんだよね。でも、その理由はプログラムを読んでちょっと分かった気がする。この子が一番撮影を楽しんでいたんだろうなとインタビューを読んで思った。だから、のびのびと演技が出来たんじゃないだろうか。大した情報量もないプログラムでもあるけれど、一番の見せ場をワクワクして撮影に臨んでる雰囲気を良く伝えていた。その気負わない無邪気さが彼を光らせている一因だったかも。

 そして、この作品を見て、渡辺謙に関してはっきりしたことが一つだけある、

 あんたの代表作は「沈まぬ太陽」だ。

 ハリウッドでナメリカ人が想像する日本人なんかやってないで、「沈まぬ太陽」みたいに自分でやりたいと思った作品をやった方があなたは断然光る。
 まあ、プロとして、頼まれた仕事をそつなくこなせるというのも、ある意味「できる俳優」には必要な技量なのかもしれないけれど、ナメリカ人に渡辺謙の良さを最大限に引き出すのは無理だろう。渡辺謙の次のハードルは、海外での躍進ではなくて、「沈まぬ太陽」を超える作品を作れるかどうかだと思う。
 しかし、改めて振り返ってみると、日本を代表する俳優が役所広司と渡辺謙しかいないってのも(北野武は俳優に入れない)さみしい話だなぁと思った。日本人て基本幼く見えるから、ある程度年齢がいかないと興味を持たれないのかもしれないな。

 キリアン・マーフィー(スケアクロウ)は今まで見た中で一番いい演技をしていたように思う。この人はこの顔のおかげで、今まで私が観たどの映画でもヘンな人の役だったけれど、こんなにフツーにナイーブな青年の役もできるんだなと思って感心したくらいだった。
 アルフレッド(マイケル・ケイン)は「作品にヒューマニティ(人間性)を与える」と言うことで、ノーマンのご贔屓にあずかっているらしい。確かに、彼はノーマンの作品では常に道徳的な立場に置かれているな。

 この映画はレオ様以外の脇が素敵な映画であった。
 一見軟派なイームス役のトム・ハーディは唯一作品のユーモアを担当する役どころであったけれど、いざという時には頼りになって、ユーモアに崩れ過ぎず、良識とのバランスのとれた「良い人」という印象が強く残った。
 あと、観る前はなぜ「ジュノ」の女の子なんか使っているのかと思っていぶかしんでいたけれど、観て納得がいった。アリアドネは学生だから、その純粋さと、優秀であるという聡明さを兼ね備えた「少女」が欲しかったんだね。エレン・ペイジはその肩書きにぴったりだった。スーツ姿が似合わないというところまで学生臭くて見事だった。コブに対する執着心が、本人も気づかないうちの恋心なのか、それとも単純な好奇心なのかはっきりとしないところも(私は後者だと思うけど)アリアドネの純粋性を引き上げるよい演出だったと思う。
 連れはマリオン・コティヤールを「魅力がない」と言って嫌がっていたけれど、私は、神経症を患って死んでしまうような人としては、これくらい痩せぎすしてて、神経質な感じの人の方が説得力があるんじゃないかと思った。
 レオは、スコセッシと仕事して以来、どの映画観ても同じ。もともとそんなに幅のある役者じゃないんだろうけど、本人広げようともしてないし、むしろ狭めてきてるんだと思う。演技は悪くないと思うのに、全体としてはなんだか残念な感じがぬぐえない。

 この映画で最初に気を惹かれた瞬間は、レオなんかが渡辺謙の夢で、建物が大きく揺れて崩れだして、「上の階だな…」って言った時。その脈略のない言葉に、これがすぐ不完全な夢なんだって気が付いた。
 夢が階層になるアイディアは面白かった。実際私も2レイヤーくらいまでは経験がある。でも夢ってあんな風に具体的で実際の物事に即した動きをしないから、あんな風に見えること自体には現実味を感じなかったけれど。
 夢の階層ごとに番人がいるというルールも面白かった。そのおかげでヒース・レジャー似の男の子の見せ場が出来た訳だから。無重力でのファイトシーンをあんなにかっこよく立ちまわってみせるなんて、相当トレーニングしたんだろうなと感心しきりだった。ノーマンはCGすらも嫌う傾向にあるようなので、基本アクションは全てライヴなんだって。てことは早回しとかなしにあの無重力ファイトをやってるんだよ?すごいって。この作品ではあの2回層目の無重力シーンが一番の見せ場だったと思う。そこをあの男の子に任せたんだから、ノーマンも相当あの子に入れ込んでいたということなんじゃないかな。

 しかし、観終わって思ったのは、この稼業ってすごいリスクのある仕事じゃない?寝ないと仕事出来ないんだから、寝てる間に物理的な体の方を殺されちゃったらどうするんだろ。そこんところは論じられていなかったような気がするな。私が忘れてるだけかもしれないけど。一応、現実でも仲間の一人が寝てる仲間を監視している訳だけど、作品の最初に出てくる仕事で現実に戻った後、あっさり仲間が敵に寝返ったことを考えると、起きてる一人が寝てる仲間を殺すことだって考えられるだろうに。危ないよ。

 あと、私の想像を絶したのが、現実の世界を捨てて、夢の中で生きて、そして年を取るという選択をした二人の発想。貧困窟で死を待つばかりの老人たちが夢の中に逃げるのは分かる。あのシーンは、甲殻機動隊(Solid State Society)を見た人ならだれでもニヤリするエピソードだ。しかし、夢も希望もある若い二人が、家庭を持って子供も二人ももうけたのに、そんな現実は追いやっちゃって、夢の中で生きたいって狂人的な発想に飛び付いた発端が分からなくって、それが細部の完成度が甘いと思わされた要因の一つ。コブとモルのドラマが掘り下げられないことには、コブのオブセッションの根幹は見えてこない。この作品の根源的な問題が不明瞭なままで、それが観終わった後の消化不良感につながっているんだともうんだけどね。でも、状況証拠からだけでも、夢の中で生きたいなんて、そんな発想自体が危ないから、モルはコブに言いくるめられて現実に戻ってくる以前から精神を病んでいたんじゃないかと思うのが普通じゃないかな。そもそも、モルの秘密ってなんだったんだかも明言されずじまいだった。観てる間に何度突っ込もうと思ったことか。作品中に3回くらいレオが「モルの秘密」って言うからね。だからなんだよそれ。話が見えねーんだよ。

 私はと言えば、とてもじゃないが夢の中に住もうなんて思えない。夢は怖い場所だ。少なくとも私にとっては。だって、夢が自分の思い通りになったためしなんてないよ。いつだって不条理で、理不尽で、そのくせ異様に生々しくて、十中八九私の見たくないものしか見せない。そんなものが現実味を帯びるなんて、それこそ気が狂っちまうよ。
 私の夢にいろんな人がいろんな形で訪れる。死んだ人や動物でさえ。その訪れる形を私が選べない。それがどれだけ恐ろしいことか。夢の中の私でさえビビってる。死んだはずだという認識が無意識化から湧いてくるからだろう。
 現実に生きている人たちに会うんでも、それが好ましい形ではない時もあるし、なにしろ自分自身夢の中ですることが現実の私には考えられないことだったりする。
 確かに夢は逢いたい人に会わせてくれる時もあるけれど、そういう夢を見る意味を考えると怖くなる。他の夢、自分が朝目が覚めていきなり恐ろしげな感覚に包まれるそう言った類の夢も同じ理由から見るのだとしたら?

 私は、夢を探って宝に出会えるなんてとうてい思えない。
 そこにあるのは無意識化に横たわる人間の本性だ。
 そんなもの誰が見たい?
 そんなもの見ちゃったらきっと正気ではいられないよ。

 そうして、でも、私は今日も眠る訳だけれど。

 最後に、コブが現実に戻れたかどうかという疑問だけれど、連れは戻れたと自信を持って答えていた。コマが倒れそうだったから。確かに物語はコマが不安定な音を立てて終わる。でも、私に引っかかるのは、コブを迎えにアルフレッドが空港へ出向いていたこと。そんなこと、追われる身のコブが言うと思うか?2つ目には再会した子供たちの大きさが、コブの夢の中に比べて小さすぎること。あの年齢の事どもなら日進月歩で成長するだろうから、コブの記憶よりもっと大きくなっていてもいいと思った。それより何より、コブが仕事から目が覚めてすぐにコマを回さなかったこと自体が怪しい。

 それでも、あのコマの倒れそうな不安定な音に希望を託したいと思う。
 コブと、仲間たちと、子供たちのために。
 それが、私の感想。


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最近の音楽事情 [music]

*** プロローグ ***

 ブログを始めて8年。
 初めて音楽の話を書く。

 この私が今まで音楽の事を書かなかっただなんてちょっと信じがたいけど。

 でも本当に、今まで公開でも、非公開でも、音楽の話題を中心にしたことってなかったな。その間、夢中になった音楽は、いっぱい、いっぱい、あったのに。
 まあ中には人には言えないものもあるんだが。

 それにしてもだ。
 8年一度もがないと言うのはすごい。
 手書きで日記を書いていた時にはよくあるネタだったのに。
 それくらい音楽は私の生活に深い関係のものだったのに、今では人の歌声なんか聴きたくないと思うようになってしまった。

 にもかかわらず、その音楽の記事を今になって書きたいと言う気持ちが突如として湧いて来たというのもかなり不可解な話ではある。
 なんなんだろうな。単に気が向いたと言うことでいいのかな。
 まあ、好きなようにしたらいいと思う。
 もともと音楽のことを文字にして人に伝えるのは昔から気が進まないと思っていたけど。

 今はその時と言うことで。


***


 最近、久しぶりにAmazonを覗いたら、それももう他に見るとこなくて仕方なく覗いたっていうくらいのもんだったんだけど、私宛のおすすめ商品でオフの”Happy Hour”っていうアルバムのリリースを知った。
 人の声を聞かなくなって(楽曲でという意味)久しいので、そんなニュースを聞いても『ほー、そうかい』って感じだったんだけど、今日またしつこく"Happy Hour"を薦めるメールが来たので、ヒマつぶしにAmazonで洋楽チェックをしてみた。

 Offspring/ "Happy Hour"
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 サージェントペパーズを彷彿とさせるアートワークがまず気に入らないんだが。

 オフの新しいアルバムなのかと思ったら、他のバンドが歌ってるトリビュートらしい。なんじゃい。
 しかも、聞けば「来日記念日本限定企画盤」とかいういかにも胡散臭い能書きが付いていて、昔の私だったら絶対に手を出さない類のアルバムだけど、最近ロックとは縁遠くなっていて自信がなくなってるせいか、『知らないバンドの発掘になるかな…』なんて弱気なことを考えてみたりもする。
 そもそも"Happy Hour"って、なんか小馬鹿にしたようなタイトルが気に入らないんだよな。
 買うかどうかは迷わしい。


 Linkin Park/ "A Thousand Sands"
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 このバンドはデビューの華々しさとは打って変わって今は結構アングラなイメージで、細く長く続いている印象。目立たないけど、好きなことやって生きてけてるって言う印象を受ける。
 オフにくっついておすすめされてたんだけど、今はどんな感じになってるのかなと言う程度に気になる。


 Hoobastank/ "Is This The Day?"
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 アコースティックバージョンが詰まったアルバムだと言う。うーん、面白くなさそうと思うのは私だけか。こいつらってただでさえ甘々なのに、アコースティックバージョンだなんて、それも2枚組だなんて、私にはとても耐えられそうにない…。
 しかし、そんな甘ったるくていがもたれそうなアルバムをトミー・リーの自宅スタジオで製作したらしい。なんだか、不釣り合いな感じがするんだけど…。まあ、先輩のスタジオ使わせてもらえば費用が浮いていいのかな、と思ったりもして。

 フーバはデビューアルバムが好きだったんだ。"First and Furious"のサントラに何曲か使われてて、それ聞いて気に入って、2ndも買ったけれど、なんつーか、甘ったるいと言うか、アイドルっぽい路線に走ってるなという印象を受けたんで、その後はあまり興味が亡くなってしまった。
 個人的にはもっととんがったロックが好きなんだよね。


 Underworld/ "Barking"
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 このアートワークよくない?思わずジャケ買いしてしまいそうだなと思ったよ。
 Underworldはいったい何繋がりでお勧めされていたんだろう。クラブもので入り込んでいたアーティストはこれだけだったんだけど。まあ、前に1枚買ったりしたからな。なんというか、気まぐれで買ったと言うか。それでかな。
 まあ、UnderworldもFatboyslimも、というか、私にとってのクラブミュージック全般に言えることなんだけど、飽きるんだよね。長くって。単調で。繰り返しばかりで。カートで言うところのヴァース・コーラス・ヴァースに慣れちゃってるメリハリ聴いてない長い音楽ってしんどい。なので私の場合、聞き流し専門としてUnderworldは位置づけられている。


 Papa Roach/ "Time for Annihilation on the Record & On the Road"
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 このジャケ見てすごいなーと思っちゃった。まだこんなスピリットで音楽続けられてるのかと思って。無理してないかと心配になっちゃうくらいだよ。パパローチはデビューからずっと好きなバンド。なんでこんなに相性がいいのかなと思ったら、ボーカルのジャコビーがFaith No Moreを好きだと知ってなるほどと思った。これは買ってみたいかなー。国内版はこれから発売なのね。
 しかし、どうしたらこんな気持ちをずっと引きずっていられるんだろう。不思議でしょうがない。なんでもそうだと思うんだけど、長いこと生きてたら、途中どっかで心が折れちゃわないかね。私は折れちゃったよ。


 Bad Religion/ "Dissent Of Man"
 ※アートワークがAmazonになかったのでホワイトキャットレーベルで代用
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 今のとこ音楽部門欲しいものリストのトップ。デビュー30周年だって。すごいなー。もともとこの人のやる気みたいなのにはずっと圧倒されっぱなしだった。いい年になってからUCLAで経済を学んでなんかいいことあったのかしら。ライブもすごいし。昔、一度だけチッタに観に行ったことがあるけど、その一度で懲りたよ。ありゃ男でなきゃ危険すぎる。けど、無謀だったなとは行ってみたからこそわかったこと。
 オフがアニキと袂を分かって色モノに突き進んだ後、アニキはそのアニキ色を惜しみなく更に濃くしていったように思う。もともと社会批判的な姿勢や思想ではあったけれど、そう歌ってカッコいいっていう人やバンドってほんとに少ないと思うんだけど、レリジョンはそんな通念をものともしないほどガッチガチにカッコいい。まあしかし、どういう訳か、私にとってはアルバムによって当たりはずれの大きいバンドでもあるんだが。
 でも、それでもなぜかレリジョンの新作というニュースに心が躍るのは確かだ。アメリカンパンクの雄は今度どんな音楽を引っ提げてくるのだろう。楽しみ。


 K.T. Tunstall/ "Tiger Suite"
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 こっからは自分で検索して新譜が出てないか調べた人たち。
 K.T. Tunstallは1作目が痛く気に入って、2作目は、あー、かなり質が落ちたという印象だったが、1枚目が異常に売れた人似合ってはよくあること。2枚目は1枚目作った時の余りか?みたいの、よくあるよね。
 今回のに期待したいが、FMかMTVで様子見てからにする。


 Little Birdy/ "Confetti"
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 リトル・バーディは実はもう3枚目のアルバムになると知ってちょっとがっかりした。私はここもう何年も音楽雑誌読むのをやめちゃってるから業界事情はさっぱりなんだけど、読んでても言うほど大事な情報はねーっていうのが最終的な判断で、読まなくなっちゃったんだよね。実際、このバンド取りあげてる音楽雑誌って殆どないと思う。私がこのバンド知ったのはファッション誌の新譜紹介コーナーだったもん。1stは国内盤があったけど、今回は国内盤はないみたいでちょっとかなしい。2ndはどうだったんだろう。Amazonでは見つけられなかったんだけど。
 こればっかりはFMでもMTVでも流さんだろうから、聞きたきゃ買うしかないかなー。やりたくないけど、iTuneで視聴するかな。


 Usher/ "Raymond V Raymond"
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 "OMG"のPVを観た。カッコいいよね。
 Usherは初めてステージを観たその時から芝居っ気のあるところが気に入っていたけれど、今もPVを観る限りその姿勢は変わらないようでうれしい。Usherはスターだから出来る、許される「なりきり」を惜しげもなく披露する。普通のアーティストは何気なさを気取って、それをカッコいいと思いこませるような姿勢だけれど、Usherはスターならではのきらびやかさを逆手にとって、そのわざとらしさを狙って作って、作り込んでて、それが一流のアーティストとしての突き抜けた個性になって現れている感じがする。こう言うタイプの人、今あまりいないと思うんだよね。
 そう言えば最近映画には出てないような。まあ、個人的には音楽の仕事にいそしんで欲しいけどね。


 Alicia Keys/ "The Element Of Freedom"
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 前作にはすごいお世話になった。2年前の今頃、会社の行き帰り、のみならず、仕事中にも聴き倒してた。Alicia Keysはアルバムをもつ前から印象はよかった。グラミー賞のパフォーマンスで何人か他の同年代っぽいアイドルと一緒に歌ってるのを観て、一番声がいいなと思ってた。
 今回のこのアルバムに関しては、事前に何も聞いていないんだけど、どんななんだろう。
 つい最近、彼女の出てる映画を観てちょっとびっくりした。映画出てるって知らなかったもんだから。そうやっていろいろキャリアを積んでより自信を付けたであろう彼女の新しい曲が楽しみ。


*** エピローグ ***

 と、興味のあるものをつらつら書き連ねたが、実際に買って聴くかはかなり怪しい。だって、3か月前に買ったCDが4枚くらいあるんだけど、まだ封も開けてないもんね。気分的にどうしても聴く気になれなくて。
 原因の半分は分かってるんだ。イヤホンで音の悪い音楽を聴くのがやだ。容量のクソちっさいウォークマンを使うのがやだ。まあ、それ以前にもう人の声を聞くのが嫌になってしまって。病気みたいだけど、音楽自体が心底嫌になってしまった訳じゃない。人の声がせず、質のいい音がする音楽なら私に無害などころか、癒す効果がある。
 だから、半年前に買って、まだ部屋の中央で段ボールに入ったままのネットジュークを引っ張り出せるようになったらまずは、クラッシックでも聴いてウォーミングアップするかなと考えている。それも大分先の話になるだろうけれど。もうこの年になってライブもまったく行かなくなっちゃったから別にあわてない。
 若くて情熱のある時は、出会いも大事だったから、質より量って感じで、興味のあるのを片っ端から買い漁っていたけれど、今では無駄によくもない音楽を聞いていたくないから、良質の音源で、まずは人の歌声を聴けなくなるほど病んでしまった心のリハビリをしてから、こう言うのを聴いてきたいな。


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「のだめカンタービレ 最終楽章 後編」 [watching]

 前編のが面白かった。

 というのが結論。

 「音楽と向き合う」という言葉が作品中に何度も出てくるし、のだめ自身もそう何度も口にするんだけど、結局のだめがどう「音楽と向き合」ってるのかさっぱり分からなかった。
 というか、のだめのいろいろが分からなかった。
 センパイとコンチェルトで共演することが夢だという割には、ピアノを器用に弾くセンパイの才能に嫉妬し、センパイの出世に嫉妬し、自分よりも先にセンパイと共演する他のアーティストに嫉妬し、センパイとのだめの仲がいいのは音楽を離れている時だけのような気がする。
 のだめは、世界的に一流な大学の、世界的に一流の先生に見染められているにもかかわらず、そのレッスンに身が入らないほど周りの人のキャリアが気になっちゃってしょうがない。いったい、他の人の何がそんなに羨ましいんだろう?自分は既に十分以上のものを与えられていて、そこで出すべき結果を求められているのに、それを差し置いてまでコンクールに執着する焦りの理由が私にはちょっと理解できなかった。
 はたから見てて、のだめで言うところの音楽って、とどのつまり「センパイ」でしかないんじゃないのかなって気がしてならない。のだめが音楽でやりたいことはないの?なにを目指してるの?それが映画観ててまったくわからなかった。そういう根本的なモチベーションが「センパイ」だったとしたら、そんなんではたして音楽が続けられるんだろうか。クラッシック音楽にまったくの素養のない人間が言うのもおこがましいのかもしれないが、「先輩とコンチェルトをやること」とか言ってんのって、馴れ合いなんじゃないの?本当に音楽やって生きてきたいって思ってるの?
 「音楽と私」っていう禅問答があって、それに対する自分なりの姿勢があってこそ、センパイとも向き合えるんじゃないだろうか。のだめの「音楽と私」がサッパリわからなかった。つーか、それがないように見えて、だからこの映画はつまらないんだと思う。
 だって、センパイにどんだけ助けてもらうの、その課題。つーくらい課題手伝ってもらってたじゃない。のだめが精神衰弱に陥ると、センパイやシュトレーゼマンという神の手が必ず差しだされて、どうでもいいが、それじゃオクレール先生はいい面の皮じゃないか。普通、破門じゃないのあの身勝手さは。
 それでいてそんなダメダメなのだめしか見てないのに、センパイの愛はつのる一方。おかしくないの?その心の動かされ方は。その子練習してないよ?センパイ、「いつの間にかあいつとの将来のことでいっぱいになってる」って、そこまでぞっこんになっちゃうきっかけとか過程がまるっきり分からないんですけど。なんか私映画一本見逃した?私こそ、『いつの間にそんなに好きになっちゃってんの???』って感じだよ。センパイの情熱にも付いていけず、つまりこの映画には一切感情移入する隙がなかった。

 そんな体たらくだから、結構最初の方で、のだめは「才能はあるのに根性がない奴なんだな」という結論がふと頭に浮かんでしかしぎくりとした。

 『それって身近な誰かのことなんじゃないの……』

 私も仕事のことはいろいろ助けてもらった。教えてもらったことを並べたらそれだけで切り抜けられたことも山ほどある。教えてもらえれば大抵のことは出来たから、それは私の才能もあったんだろうと思うけど、でも、そのさらにもっと才能のある人に恵まれて、助けてもらわなかったらこんなに出来るようにはならなかったと思う。
 いくつか(も)あった自分の転機を振り返ってみて、私の根性が足りなかったのかなとか、もっと辛抱すればよかったのかなと思うこともあるけど、逆にもっとセーブするべきだったとギリギリまで頑張ってしまったことを後悔したことも何度もある。
 だから私は未だに仕事とのバランスのとり方が下手くそということなんだろう。

 私も人のこと言えない……。
 根性がないことに関しては、本人ももはやどうしようとも思わないほど根性がない。

 けど、私には「音楽と私」がある。
 「センパイ」と戦わせる「音楽」がある。と思う。
 ちょっと間違ってたり、大分偏ってたりするかもしれないけれど、それはそれでいいと思う。私の「音楽」なんだから。
 とにかく、それがなくてどうして「センパイ」と向き合えるだろう。
 もっと「センパイ」という人に近づくために、「センパイ」を理解しようと努力すれば、もっと興味深い付き合いが出来て、より深い絆が出来るんじゃないかと思うんだけど。

 という観点から、私はのだめはセンパイとコンチェルトをやるべきではないと思う。それぞれが自立した「音楽」を目指すべきだと思う。その過程でお互いを高め合うなり、支え合うなりすることの方が意味があるんじゃないかと思う。
 コンチェルトは二人だけのものとしてプライベートでやったら愛もなお深まるんではないのかな。

 後編は何ともまとまりが悪くて、センパイの心境の裏付けも良く分かんなければ、のだめの成長みたいのもよくわかんない。観終わって茫然とした。せっかくクラシックをウリにしてるのに後編はセンパイとのだめの関係に集中しちゃってて、音楽のからませ方が弱かった気がする。もっと映画観てよかったと思えるような名曲を沢山からませてくれた方が私にはうれしかった。
 ストーリーも、恋愛にふわふわしてるどうにも精神的にアマチュアの二人より、その周辺で「音楽」に向き合おうとしている人間たちをもっと掘り下げてくれた方が物語に深みが出たと思う。ターニャがどういう思いでコンクールに挑もうとしているのか、屋根裏の幽霊学生とか他の学生がどう「音楽」と向き合ってるのか、それをのだめが身近に学んで成長出来たら他のキャラの意味も深まって物語としてもっと味が出たんじゃないかと思うんだけど。今回はふわふわした二人以外は、みんな人数合わせみたいな感じの存在感だった。

 まあ、これでのだめも終わるのかと鼻であしらってプログラムを閉じようとしたら、最後のページに「Fin?」て、疑問符が打ってあった。
 まあ、どうでもいいけどね……。
 これで次がもっと大人な関係になって、ドラマ性あふれるストーリーになってたりしててくれたらそれで全て丸く収められる。

 でも、そのプログラムの最後のページの写真、これだけはよかったと思う。

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「劇場版TRICK 霊能力者バトルロイヤル」 [watching]

 私が日本の映画を見ない理由のひとつに、

 「なぜ映画にするのか理解しがたいスケール感」

 というのがあるんだけど、この映画はその最たる例の一つだ。

 なぜ?

 なぜこれを映画にしたい?

 前観てもつまらなかったのに、今回も観に連れてきておいて「つまらないね」という連れ。

 なぜ観たい?

 このつまらなさを観たいからに他ならない。

 理解に苦しむけど、つまりそう言うことなんだろう。というか、そうとしか思えない。

 つまらない映画を見せておいて腑に落ちないのが、私が映画を見ながら突っ込みを入れると必ず連れが私の口を覆う。なんでやねん。そうは思わんのか。
 あんなでかいちん○ん、最初から出しといたら全てが丸く収まったんちゃうのか。
 そして帰り際に「山田に好きだって言ったところであんなに大きいんではうまくいかないな」と言ったらつねられた。だってあんなん山田じゃなくたってうまくいかんだろうが。そうは思わんのか。

 どーでもいいけど、こんだけ人が死んでて軽すぎる。
 終いにゃ、甘えん坊将軍を刺しちゃった男の子がかわいそうになっちゃった。あの子はこのあと絶対に人生を踏み誤るよ。
 つか、村長もそんなかわいそうな男の子に「しっかり罪を償って」って、お前ら全員殺人ほう助だよ。何寝ボケたこと言ってんだよ。
 桜井の肩持つ訳じゃないけど、話の筋ってだけで安易に、しかも無意味に人を殺しすぎだ。
 矢部に至っては絡んで来なくても良かったんじゃないの。
 オチも雑すぎて、中学生の書いた脚本か?と思いたくなる。

 映画の中身がないので、映画で使われた要素だけで反省会を盛り上げるしかない。
 双子が疎まれる風習が一時期あったことはなんとなく他の本なんかで知ってた。一人を家の中、例えば蔵とかに隠して育てたんで、そっからそれら不詳な子供の存在をカモフラージュするために座敷わらしのようなフィクションが生まれたという説も。年がら年中蔵に隠してたんじゃかわいそうだからつって、年に何度かお祭りとか、大勢で集まるイベントのある時に、人出の多さにまぎれて外に出したりするもんだから、いつもの子供の数だけおやつを用意しといたら足りなくなったりする都市(田舎)伝説の背景という説とか。
 連れが、双子はいっぺんに手がかかるから、「口減らしのためであったんじゃないの」とめずらしく冴えたコメントを口にしたものだから、「でも、だったらわざわざ蔵に匿って生かしといたりするのは道理にはずれてない?」って突っ込んだら、「だから裕福な家庭なら」というのを聞いて、なるほどと合点がいってしまった。
 つまり、座敷わらしって悪い霊じゃない。縁起物っていうか、吉兆だと思われているよね。現れたうちに福を呼び込むって。だから、例えば、リッチな家庭、庄屋とか、地主とかに双子が生まれたとする。普段小作人なんかには口減らしさせている手前、自分のとこだけおおっぴらに二人育てる訳にも行かないので、一人を座敷奥や蔵に閉じ込めたとしたら?結構つじつまの合う推測だよね。

 それにしても甘えん坊将軍の立ち位置も中途半端だったなー。なんで火が外側に向かって行ったのかも分からんかったし。あからさまなリング系の要素の盗用も、いかにもやっつけ映画にしか見えなかった。

 こんだけつまらないの見た後も、暫く方がが続く予定。


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「沈まぬ太陽」 [watching]

 ジャッコの「This Is It」も観たいところだったけれど、ツレがこれも面白いとしつこく主張するので、観念して観てみたが、これが3時間22分とは思えないほどよく出来た作品だった。
 ほー。

 プログラムもよく出来ていて感心した。出演者へのインタビューを編集した形になっているけれど、丁寧にまとめられていて、編集した側の出演者に対する敬意みたいのが感じられるくらいだった。編集されすぎてなきゃいいんだけどね。制作側としてはそれくらい気合の入った作品だったのかもしれない。いろいろ揉めたみたいだからね。公開後もうだうだ言ってるみたいだし。それも社内報で。文句言うならちゃんと広報通してコメント出した方がいいと思うけど。映画作られちゃってるんだから。そういう無意味な封鎖的な態度こそが問題視されてるんじゃないの。鈍い奴だな。

 話がずれたけど、その気合みなぎるプログラムを読む限り、この作品のテーマは「矜持」らしい。監督も、三浦友和も渡辺健も同じ言葉をインタビューの中で繰り返している。「矜持」か。私には「信念」に映った。それぞれが正しいと信じていること。それがそれぞれに違う。恩地も行天も突き詰めれば、なそうとしたことは一緒で、理想の実現だと思う。ただその「理想」が恩地と行天でまったく正反対の物だったってことなんだと思う。だけどどっちが正しいのか、たとえ行天が不正にまみれていようと、一概には言えないと私は思う。なぜなら、なぜならば、恩地の豪語する正義もまた、みんなを救ってくれるとは限らないから。現に彼自身の家族が犠牲になる。彼を信じて意を同じにた後輩が破滅する。彼が矜持の名の元に挫かれていったものはきっと彼が想像するよりはるかに多いと思う。
 人が理想を掲げる裏で、偽善は常に存在する。もしも型どおりの正義だけでみんなが公平に扱われて生きていけるなら階級や差別と言った言葉は生まれなかっただろうから。また人間はそういうふうにして自己保存するようになっているんだと思う。公平さが見せかけである限り、世界平和なんてあり得ない。多分本当の意味で人間がそれを勝ち得るには、もっと別の次元に到達しなければ見えてこないことなのかもしれない。

 渡辺健のインタビューを読んで彼の演技が確かに作品に反映されているなと思い当たる節があって、彼の考察とその演技力に感心させられた。恩地って人は自分をコントロールする能力にたけている。例えばさ、些細なことだけど、娘のお見合いの席で、相手の両親の卑しい下心に恩地が気付いて思わず家を飛び出してしまうシーンがあるけど、その後を追っかけて出てきた奥さんに「あのベンチのろころまで行ったら帰るぞ」と宣言して、そこまで行くと備え付けの灰皿で吸いかけのタバコをもみ消して戻ろうとする。それをみてすごい自制心だなと思った。私だったらとてもじゃないけど、そんな短い時間で体制立て直せないと思うし、そもそも家を飛び出してくなんてことしないで、相手を追い出して全てを仕切り直したと思う。どっちかっていうと、この縁談はなかったことにするために。単純に考えると私には恩地みたいな辛抱強さがないってことなんだろうな。理不尽を飲み込んだ上で、活路を見出すみたいな。私ならきっとそれがだめなら別の道を探すってとこだろうな。別の楽な道か。水は低きに流れるじゃない?
 それでも「矜持」を誇示する恩地は現実的にはヒーローではない。才能はあっても不遇の極みに甘んじて身を置いている。当たり前の倫理観や正義を主張した者が企業にどう扱われるか。働かないけど権利だけは主張したい一介の会社員たちにはいい見せしめだ。作品の中心は御巣鷹山での事故だと渡辺健も言っているけれど、私にはそうは感じられなかった。この作品の中心はどこをとっても恩地彼自身だ。ただひたすら恩地の生きざまを、社会とのコミットのし方を描いた作品にしか私には見えなかった。御巣鷹山の一件は彼を通り過ぎた様々な理不尽の、悲劇の、一つでしかない。
 作品の最後で、恩地がお遍路に出た御巣鷹山の犠牲者の父親に書いた手紙が印象的だった。「家族を全て失ったあなたの絶望に比べたら、それまでに自分が囲った不幸などはどれほど些細なことであったか」みたいなことを言って、その年老いた父親を慰めた。普通だったらあり得ない理不尽を飲みこんできた恩地の言う言葉だからこそ響く言葉だと思った。
 しかし、年老いた父親をアフリカまで呼び寄せるならチケットも送ってくれないと困るよね。実際問題として。
 あと、恩地の人間性で私が唯一納得できなかった点はハンティングを趣味にしていたこと。動物をむやみに殺すなんて悪趣味にも程がある。

 三浦友和もこれほど研究してキャラを作るというのは私の想像の範疇にはなかったことなので、素直に感心してしまった。ナントカ京香のキャラ作りが結構適当だなと浅く映ってしまうほどだったよ。
 一番理解できなかったキャラは松雪の。あれは人間の屑なんだと思う。そうであれば納得できる。ろくでもない男との逢瀬のために嘘をついてまで後輩にシフトを代わってもらった結果、事故に遭わせて死なせてしまったという自責の念みたいのが微塵も感じられない松雪の演技には背筋も凍る。さらに身の毛のよだつのは、その後もそのろくでなしの愛人を辞めず、あろうことか死なせた後輩の親に取り入って遺族の個人情報をまんまとせしめ、言われるがままに会計調査に任じられた恩地をスパイし、どういう神経かそのすべてを恩地に吐き出した上で「行天を助けてやって」と言うに至っては私は失神するかと思ったよ。お前こそ助けてもらえよ。何言ってんだ。
 しかし、そんな気違い女の扱いもそつのない恩地に私は改めて感心させられたりもした。はー。恩地スゲー。

 御巣鷹山の一件は私が想像してたより作品中では存在感が薄かった。もっとあの事件が話の中心になるのかと思ったけれど、観てる間ずっとそんな感じは受けずに終わった。
 企業が利益を優先させた結果として人命が犠牲になるといった話はむしろ近年ありがちな企業体質としてよく耳にするくらいだ。JALは映画化にあたり一切協力しなかったらしいけれど、これが事実無根で完全なフィクションだと言うなら、その立場を作品上はっきりさせた上で(してたと思うんだけど)、協力を惜しまないほうが懐の深い企業だと逆にイメージアップになったんじゃないのかな。結局後ろ暗いところが自分たち自身拭えないから協力できなかったんじゃないだろうか。たとえば、遺族と補償の話を進めるにあたってのあこぎなやり口はあれが例えばJALじゃなくたって、そうするだろうってことが容易に想像付く。
 素人考え的にはむしろこれはJALにとってイメージアップになるいい機会でもあったと思うんだよね。それを自らネガティブキャンペーンであると訴えて回ったというふうに映る。のみならず、経営陣は制作側を訴えることも辞さないとかって姿勢だそうで、ただでさえ税金使って会社を再建させてもらってるって言う肩身の狭いこの時にだよ?世論を敵に回すような発言は慎んだらと思うのは私だけ?訴えるのは誰のお金で?つか、そんな余裕はないですよね?と人に思われるとは考えないんだろうか。
 おとなしくしてりゃまだいいものを、なまじ反論するもんだから、フィクションだと言っている原作もあながち嘘ではないと思われても仕方ないと思うよ。
 ちなみに恩地のモデルと言われている小倉貫太郎の1999年の東大駒場祭における講演のログによると殆ど本当にあった話のように受け取れるけどね。
 小倉貫太郎 「私の歩んできた道」
 ログは小倉さんの語り口調をそのままなのかなと思わせるんだけど、だとしたらなかなか好感の持てるおじいさんだなと思った。私の印象では勝海舟に似てる。信念は固いし、熱意もあるんだけど、その実、さばさばとしていて、いい感じに力が抜けてるからなんか掴みどころがないというか。
 この人はもっと国益のために有名になるべきだったなとログを読んで思った。小倉さんは2002年に既に亡くなっているらしいんだけど、本人がこの作品を見たら、渡辺健の演じる自分を見たらなんて思ったかしら。

 
*** エピローグ ***

 今の会社に入って、要求されることの意味とか価値とかがどうしても理解できなくて、どう自分を納得させたらいいなのか分からずに途方に暮れてた時、「とにかく長く会社にいることが大切だと思う」とアドバイスしてくれた人がいた。その時は『そんなこと言われてもなんの助けにもならねーよ』と思って、どういうつもりでこんなに大変な時にそんなのんきなことを言うのかその意図がまったく理解出来なかったけど、この映画を観てたら自然とその言葉を思い出して気が付いた。
 その人も恩地の姿を知っていたからそう言ったんだな。

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「黒い雨」 [reading]

 暗いんだろうなと思って大分覚悟して開いたけれど、意外にも抵抗なくすいすいと読み進められた。
時代のせいなんだろうけど、とにかく漢字がいっぱいで、読みづらかったのはそういうところくらい。表現として読みにくかったところは思い返す限りそうなかったと思う。
 戦争小説、それも被爆体験をつづったものであるという予備知識からしたら、拍子抜けするほどのこの読みやすさ、親しみやすさとすら感じ取れる印象は、おそらく井伏自身の人間性のなせる技なんだろう。あとがきで井伏の人物紹介をしている人の意見と比べてみても私の印象はそう間違ったものでないなと思った。
 私自身は井伏の作品は初めて読んだのだけれど、読み始めてすぐにこれは「井伏らしい話なんだろうな」と思った。本人と知り合ったら好きになっていたかもしれない。好きって、好意を抱ける人という意味でね。素朴で、嘘ついたり、見栄を張ったりすることのない人なんだろうなと思った。彼の上司とのやり取りを見ていては、世渡りもそれほど器用そうでないのがますます好印象だった。とにかく「狡猾」って表現から闘争縁遠いような人柄に思えてそれが好きだったの。もちろん、この話はフィクションということになってはいるけれど、それでも本人がこれからさほど遠くない人柄であろうという考えはずっと離れなかった。奥さんもいい人で、用意された言葉なんかはどれも実務的なことしか言わないんだけど、それでもなんだかとてもかわい人であることが否応なしに想像させられた。印象的だったのが、結婚前も結婚後も目立って恋人らしい仕草をしたことのない二人が、原爆症に苦しむ姪のためにそんなことも忘れて手をつないで、それも奥さんのほうが手を取って庭へ出ていく場面。それに気付いてうろたえるのは、重松の方なのが余計にかわいらしかった。大恋愛なんて、それが経緯で結婚したって犯罪みたいに思われている世の中だから、結婚は親や親戚やら、とにかく周りの人が決めたりするもので、本人の気持ちががどうとかなんてことではまずなかったであろうご時世に、こんなに心からお互いを気遣えるような夫婦がいるなんて奇跡だなと思いながら読んでいた。私だったらまず無理だろうと思う。その気もないのに添い遂げる誓いをするなんて。それだからこそ、この重松とシゲ子夫婦は私には清く、尊いものに見えて羨ましかった。しかし驚いたことにこの作品にはたびたびそんな夫婦愛の深い組がちらほら出てくる。どうしたことか。他人の決めた縁組でそんなに素敵な夫婦が出来上がるなら恋愛しないほうが幸せに暮らせる確率は高いんじゃないかとさえ疑った。まあとにかく、そんな献身的な奥さんに恵まれた旦那衆を私は羨ましく思いながら読んでいた。

 「ジェノサイドの丘」を読んでいたせいか、残酷な描写には「ジェノサイド」程の抵抗は受けなかった。もちろん凄惨な描写は物語の中にたくさんちりばめられている、けど、この物語の伝えんとしているところは、被爆者がどんなに人間離れした外観になってそぞろ歩いていたかをつぶさに語ることではなくて、重松が、重松の一家がどうその中を、その後を生き抜いたかである。だから、重松がそんな中に出向いても景気はさながら電車の車窓を流れるがごとくに語られる。重松が周りのそういった風景に気を取られまいとしているのがよくわかる。だから読者もその風景を流れるがままに見ているだけで立ち止まっていちいち皮膚の焼けただれ方がどうとか、指があるとかないとか、興味半分に検証することはできない。それでさえ、そうして風景の中をわき目もふらず突っ切るようにしているにもかかわらず、目にしたくないもの、してもにわかには信じられないような風景がごろごろ、というより、そんな風景ばっかりだ。そんな非現実の中を正気を保って突っ切るには周りに気をとらわれないことだ。重松の歩調は厳しい。生き地獄を地獄とも思わず、彼の言うとおり、そこにあるがままを受け止めてとにかく目的地に向かって歩を進める。そんな、普通の人から見れば、のんきともとれる気丈さが重松を、重松一家を助けた。私にはそんな風に思えた。とにかく重松は、重松一家はこんなことになってもパニックを起こさない非常にできたというか、肝の据わった一家だった。しかし、その出来具合が矢須子の命を蝕むことになったのだろうけれど。

 一番不愉快だったのは、軍人の横柄で不遜で無知蒙昧な態度、ハルキなら「想像力が足りないせい」と言うところだろうけど、よりも、戦後重松一家が移住した村での差別だった。被爆者が養生しているのを「いい御身分」だと揶揄するばばあ、敢えてばばあと言わせてもらうが、がいて、読んでる私の方が悔しい思いをした。
 どういうことなの。どうしたらそんな卑しい考えが持てるの。一億総玉砕とかいう、居間でならとんでもない迷信と言いたくなるような話を当然の予定のように民間人同士が話し合う世の中で、国のために働いていた人が、敵に襲撃されて負傷した人がなぜそんな差別的な言葉に晒されなければならないの?何も言い返さない重松に私は頼りなさを感じたけれど、読み進めるにつれ、その土地では重松はよそ者であることに気が付いて、重松が自分の「意見」を自重する姿勢も理解できた。悲しいけど、日本て、そういうところだっていうことも今の私には痛いほど分かる。よそ者はよそ者として扱われる。権利とかっていうのは、まるで土着の人間にしかないみたいに。重松一家はどんなにか肩身の狭い思いだったろうなぁと思う。そんな状況だからこそ、人のいい矢須子が自分の病状を言い出せなかったのも私には納得がいった。原爆症がただの怠け者としてしか理解されていないような無学な土地で、一家に二人も原爆症が出たらそれこそなんて思われるだろう。矢須子は尊くて、そして清かった。幸せは、彼女にこそ訪れるべきだったと思うけれど、重松の言うとおり、きっとそれは難しかっただろう。そして聖処女みたいな矢須子が原爆症で失われても、卑しい婆の考えを改めることはできなかっただろう。そのことを憎いと思った。矢須子や重松のために。王国は、彼らのような人たちの元にこそ訪れるべきだと、今思う。

 実際、この話は駆け足するみたいに読めた。それは重松の焦燥感が乗り移ったせいだとも入れるけれど、それが可能だったのは、井伏と私の波長があったからだろうなと思う。物語の屋台骨は二重にも三重にもなっていいて、さながらマトリョーシカみたいな入れ子状態なんだけど、そのどれもが焦燥感に駆られているので否応なしに駆け抜けるように読み進める形になった。
 フレームの一番外枠は、終戦後数年断って、重松たちが小畠村に住まう、逃げ延びたという表現を使ったほうがふさわしいかもしれない、現時点。矢須子が被爆の疑いから縁談が危うくなっていきていることから重松は「原爆日誌」の完成を急いでいる。
 二層目のフレームは、その重松が描く「原爆日誌」だ。この中では文字通り、焼け野原を右往左往しながら逃げ惑っている。重松はそのたびに明確な目的地を持っているものの、無駄骨ばかりだ。というか、その時生きている人間の血道をあげていることのほとんどが意味のないことなのに、彼らは盲目的に、というか、それまでの世界はまだ失われていないと当然のように信じ込んでいて、以前と同様な生活を維持しようと躍起になっている。それが私の目には異常に映った。町が、広島市全体が一瞬で吹き飛んだのに、工場を今までどおりに操業することが最優先事項だと本気で考えているなんて。言っておくが、その工場が操業を続けることで助かる人間は一人もいない。にも関わらずだ、操業を続けるための石炭を死に物狂いで確保しようとする。そういう姿勢が当然のように語られて実行される。その風景の物語るものに戦争の、当時の日本の「統制」ってやつの巨大さと、薄暗さを垣間見たような気がした。ここで断っておかなきゃならないのは、私はこの作品を読んでもそれをあくまで垣間見たにすぎない。実際にそれがどれほど暗く、巨大で、有無を言わせないものだったかいまだに理解できないでいる。理解したくないという気持ちも作用しているのかもしれない。でも、最近戦中の話を読んだり聞いたりする上で私が思うのは、そういうことをつぶさに調べて理解しなきゃいけないってこと。どうしたらそんな「統制」が可能だったのか、解明して、みんなで理解する必要がある。同じことが二度と起こらないようにするためには、どんな事件や事故でもそうだけど、事実を正確に理解することだ。普段の生活で犯罪が起きれば、不当な事件が起きれば、はみんな当然のように真実を追求するくせに、それがこと戦争になると急に口をつぐむ。そして口をつぐむのは、公的組織と言うよりもむしろ民間人の間にも顕著な現象になっている。なぜだと思う?なにか後ろ暗いところがみんな大なり小なりあるからだと私は思う。けど、それは本当に個人が問われる罪なんだろうか。分からない。一体どんな経験を潜り抜けたら、そんな風になってしまうんだろう。そんな風にみんなで口を閉ざしている中で、国と国の間ではまことしやかな数字を口にして保障がどうとか、責任がどうとかいう話だけがどんどん独り歩きしていく。黙っているだけそんなのではないだろうか。いや、もしかしたら世に噂されている異常にひどいことを日本軍はしていたのかもしれないけれど、でも、むしろそれだからこそ、それではたして世の中に真実なんてありえるんだろうかと考えてしまう。思うに、戦争責任者は本当に責任を追及するなら、殺してしまうべきではないね。その戦争の全貌を根本のところで把握しているのはそいつしかいない。だからつまり、連合国側だって口封じのために東条英機なんかを殺したんだと思われたって仕方ないよね。真実を追求する権利は、私たち日本人にもあったはずなのに。
 話がそれたけど、物語は主にこの二層目と、小畠の一層目を行ったり来たりする。それでちょっとめまいみたいなものを感じる。戦火の中から急に平穏な農村へ無理やり引き戻されて、一瞬周りが分からなくなる。それくらい唐突に現実に引き戻される。「ごはんですよー」みたいな声に重松が我に返っている瞬間だ。つまり、私も文章を書いている重松くらい熱心に戦火の中に捕らわれてしまっていることになる。重松はまだいい、「ごはんですよー」と言われている本人だから、我に返りようがるってもんだが、私はちょっとうろたえる。『なんだ、なんだ、急に話はどこにいっちゃったんだ』とあわてる。
 さらにその第二フレームの中に、シゲ子の「お料理日記」やら「看病日記」、重松が入手した他の被爆者の体験記などが層をなしている。重松は矢須子の被爆の疑いを晴らそうと躍起になって「原爆日誌」に飛びついたのだが、それを書き進めるにつれて重松が改めて発見したことは、皮肉にも矢須子もまた被爆したの者のうちの一人だという事実だった。確かに原爆が投下されたその日に矢須子は市内にはいなかったかもしれない。けれど、矢須子のように広島市の被災を知って駆け付けた人もみな原爆症にかかり、悪くすれば死んでいった事実を振り返るにつれ、重松は茫然としたに違いない。今まで矢須子が丈夫でいたからそんなことは露ほども考えに過らなかったけれど、確かに矢須子も被爆したのだ。一緒に被災した町の中を逃げたのだから。クラゲ雲の下、黒い雨を受けたのだから。

 最近、戦時中の「統制」っていうのが実際どんなものだったのかということに興味がある。どうして「一億玉砕」なんてのがあり得ると思っていたのか。どうしたらその一億の頭にそんなばかばかしいことをまことしやかに植え付けられたんだろう。「黒い雨」には他にもとんでもない迷信が真実見たいにみんなの間で交わされるが、みんながそう言ってるんだから、みんながそう思っていたってことで、それが怖いというか、もう、理解不能だった。その理解不能の迷信のひとつに、敵に占領されたら日本の男はみな去勢されるという話。 ??? そんな話し始めて聞いた。けど、みんながそう口々に言う。当時の人はきっと本当にそう考えて怯えていたんだろう。怯えてないまでも、そうなるかもしれないと覚悟をしていたんだろう。去勢してどうするんだろ頭の中を ??? でいっぱいにしていたら、その話のあたりに「民族」って言葉が出てきて、急に合点がいった気がした。この戦争は、少なくとも日本人にとっては、民族をかけた戦争だったんだということを理解した。大陸に浸入していったのも、東南アジアに進出していったのも日本の領土を広げるってだけじゃなく、そこに日本人を植えるけるという考えの元だったのかもしれない。だからレイプが当然のように横行したのかもしれない。軍人は、それも仕事と思っていたのかもしれない。しかし、どれだけ考えても私の想像の域を脱しない。けれど、もしも日本人が民族の拡大を心の底でもくろんでいたののなら、その戦争を率いた幹部がヒトラーに共感したであろうことは容易に想像がつくよね。
 それにしてもいつも不思議なのは、どうしたらあんなことが組織だててすることが可能なんだろうか。組織になる前に停められる人がいてもよさそうなもんなのに。こんなことになる前にその人を止められる機会がいくらでもあったんじゃないかと思ってしまうのは私だけだろうか。あの人たちは何で結びついていたの?何が人間が人間を理不尽に蹂躙するような社会を当然のように成り立たせられたんだろう。なにがあの戦争を可能にさせたんだろう。何が人間に憑りついていたんだろう。どの戦争でもその理由は明らかにされていない。と思う。だから何度も同じことが繰り返されているんじゃないだろうか。結局、あんなに苦しみ抜いた末に私が得たものが何だったのか、ちゃんと理解している人っているのかな。
 重松が焼け野原になった広島を彷徨しながら憎々しげに思う、「正義の戦争より、不正義の幸せのほうがいい」。罹災者のこの心からの慟哭に、それで私には素直にうなずけなかった。日本はあの戦争に負けて、誰もが願ったように今不正義の幸せのただ中にいる。全てに目をそむけた欺瞞の中にそれぞれの小さな幸せを囲っている。目の前の貧困や不幸からとにかく抜け出したくて、恥もかなぐり捨てて、なりふり構わずアメリカの尻を追いかけて、追い越して、これで私たちはよかったのだろうか。なんとなく、振り返りたくない過去に蓋をしただけのように思えるのは私だけか。代償を払うべき世代が払わなかったことで、なにも知らない世代が責められて、この先別の人たちがまた同じ轍を踏まないことを願うだけだ。

 実は「黒い雨」は読んでみたいと思っていた作品ではなかった。むしろ読みたくないr部類の本だった。戦争文学なんて、ましてや被爆体験なんて、とても軽い気持ちで手が出せたもんじゃない。けど、読んでみてよかったと思う。今まで読みたいと思ったこともなかったし、これを買ったのも、他に手にしたいと思うような本が近所の本屋にはないという情けない理由だったのだけれど。文学好きと称すからには「カラマーゾフ」を一度は読んだことがあるんだろうなと言われるように、日本人ならみんな一度は読んだほうがいい。千羽鶴の意味も分からないような大学生がいる世の中じゃ、この本が描いているものを理解できる人は少なくなってきているのかもしれないけれど。でも、作中に出てくる卑しい婆を思い浮かべるに、そんな奴は当時でもいたんだ。今の時代だから理解が少ないってことはないかもしれない。と、前向きな希望を抱いてみたりもする。

 とにかく、私は井伏の文章が私の趣味にあって、「黒い雨」を意外にも楽しめたということよりも、その基本的なところでの共通点が出来たことが素直にうれしかった。本当は「山椒魚」を読みたかったのだけれど、うちの前の本屋には「黒い雨」しか置いてなかったから。井伏の作品を「山椒魚」意外にももうちょっと読み進めてみようかなと思える出会いになった。
 けど、井伏って、画家を志してダメだったからあっさりと文学に転向して、成功している。戦争に巻き込まれ、被災しているにしても、そこから生きて戻ってこれている幸運を考えると、彼の人生はあまりのも手放しに祝福されすぎているのではと思って、はっきり言ってちょっと不愉快だが、実際そうだったんだから仕方がない。それでいて彼の生活が庶民のそれから離れなかったことが好感を持てた理由の一つかと思う。彼は幸運な人だった。そういうことだったんだと思う。
 幸運か。それは人生が終わってみないと私の場合は何とも言えないね。今のところ私もその部類に入るのかもしれないと思うけれど。


黒い雨 (新潮文庫)


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「バーン・アフター・リーディング」 [watching]

 観る前から相当ひどい映画であることはなんかいろんなところで書かれていたので多少の心構えはしていたものの、わざわざ日比谷くんだりまで出てきて観るんだから、ほんのささやかでいい、その労に報いるくらいの良さが欲しかったが、クライマックスで丸腰の相手の背中に容赦なく銃をガンガン打ちまくるジョン・マルコビッチの非情さにも等しいほどの最低ぶりだった。
 どんだけ人生に余裕があったらこんなクソ映を金と時間をかけて作ろうなんて気になれるんだろうな。まあみんな好きで出してる金と労力だから人にとやかく言われる筋合いはないとは思うんだけど、それにしたって、それをお金払って観る人がいるわけだからさ。ましてや、アカデミー賞の常連たちが制作やら、出演やらに名前を連ねてるんだから、それなりの良作を作るのは影響力のある著名人の社会的責務と言っても過言じゃないと思うけどね。

 この作品が描こうとしているのは「ファーゴ」に似てる。というか、同じだと思う。おそらくそれがこの兄弟の世界観なんだろう。プログラムに使ったライターもとんだ恥知らずで、「ファーゴ」で使ったのとまんま同じコピーを使って語ってる。プロならもっとクリエイティブな仕事しろよ。「ファーゴ」のコピーは「人間はおかしくて、哀しい」だったと思うんだけど、このライターが使ったのは、「愚かで、おかしくて、そして悲しくて」。評の中で「ファーゴ」との類似性とか、作品を持ちだしてなんか比較した上でオマージュ的に使っているならまだしも、評の中には「ファーゴ」のファの字も出てこない。こいつ、明らかに観てないな。観てないなら書くなよ。こんなんで仕事になってお金もらえるなんて、ぬるくていいねえ、映画ライター。
 最近ほんとに好きで書いてると思わせるライターのプログラムに当たることが珍しくしばしばあったから、こんな素人仕事みたいなのに当たると結構腹が立つ。ましてや単館映画のプログラムで、こんな体たらくなもん作りやがって。単館映画なんてよっぽど好きでなかったらわざわざ見に来ないわけでしょう?観に来るファンの濃さを考えたら、広く浅く単に口当たりさえよきゃっていう全国展開の作品よかよっぽど気合い入れて作るべきだと思うけど。もっといい仕事する人が他にいくらでもいるだろうに。

 この作品で一番の見どころは、冒頭でも出したけど、ジョン・マルコビッチの観てるこっちが縮みあがってしまうような非情さだった。あんなにストレートにおっかないマルコビッチは久しぶりだった。あの盲目的な狂気が私に向けられたものでなくてよかったと思うくらいにおっかない。大体、バカなくせにキレやすいなんて、もう手の施しようがないよね。なんか、そんな人は生きてるだけで迷惑な気がするけど、そんなんが国の重要機関で重職についていると言う日常。空恐ろしい。
 で、最後同僚に片思いの元司祭のおじさんが丸腰で逃げて行く背中に容赦なく斧を振り下ろす様子をなんの演出もなくただ撮っていると言う姿勢がまた恐怖感を煽って私は好きだった。あのなんの演出もない虐殺シーンはごく控えめに言っておぞましい。「ファーゴ」で人肉を芝刈り機だかなんだかでミンチにしているシーンを彷彿とさせるよ。
 なんの演出もないからこそ際立つ狂気。マルコビッチのおっかなさを十二分に引き出すことに成功していると思う。しかし、こういう恐怖は映画だからこそ楽しめる物だよね。ほんとに。
 プログラム読んで知ったんだけど、マルコビッチは最近製作の方にも手を出しているらしくて、それ自体は別に驚かないんだけど、お金あるだろうし、お金のある俳優は大抵製作に回りたがるものだから、けど、意外だったのは、手がけてる作品にティーンエイジャー作品が多いってこと。「JUNO」とか、「ゴースト・ワールド」もそうなんだって。どっちもインディーズ系作品だけど、評価は高いので、遊びで手を出しているんじゃないんだなと思って改めてこの人の映画に対する熱意に感心した。「リバティーン」とかね。「リバティーン」は残念ながら観れてないんだけど、私は観たいと思っていた作品だから、マルコビッチの作品選びの視点にはかなり信頼がおけるんじゃないかと思った。
 しかし、CIAで重要なポジションについていたような機密情報のエキスパートが、人に見られたくない情報をCD-Rに焼いて外に持ち出せるようにするってどういうこと?そこのくだりには何も説明がないのよ。それが腑に落ちなかった。そこの経緯こそ描いてくれなきゃマルコビッチの頭の悪さは観てる人に伝わらないんだよね。結局あれだって、その後みんなが「お前がジムで落とした」って言ったからそうなのかなって状況になってるだけで、実際にどういう経緯をたどってCD-Rなんかに焼いて、焼いたものを外に持ち出して、それだけをジムのロッカーに置いてきちゃったのかがそっくり抜け落ちていた。手抜きにもほどがある。ちょっとこんな雑な仕事は他では見たことないな。

 不愉快だったのは、ジョージ・クルーニー。こいつってほんとこの兄弟のミューズなんだな。「オー!ブラザー」でのクルーニーは確かに好きだし、作品としても完成度が高いと思うよ。でも、こんなに大事にされちゃって。なんか納得いかない。そこまでかわいがんなくてもよくない?観終わったて最初に、「これってこいつの映画じゃん」って思うくらいクルーニーの映画になってたよ。
 そもそもこの顔中ヒゲだらけのおっさんがこんなにモテるという事象自体が、ジョン・マルコビッチの狂気以上に気持ち悪かった。みんな、その人は最悪だって気が付いて。ティルダ・ウィンストンみたいなインテリ女がクルーニーみたいなピーマン頭に惹かれるってどういうこと?そんなにセックスがすごいの?体だけが目的なら何もわざわざ結婚しなくたっていいじゃんか。と、ずっと思いながら画面を見ていた。ベッドシーンのないのが幸いだった。そんなのあったらちょっと耐えられなかったと思う。兄弟自身は作りたかったんじゃないかと言うのが私の予想。だって、その方が変態さをアピールできるもんね。多分その欲求をDIYのあのヘンテコな機会に託したんだろうなと言うのが私の読み。あれで十分うんざりさせられた。もう二度と観たくない。

 ブラッド・ピッドはこの役者の中ではすごい存在感が薄くって、思わず同情した。図らずしも大した役者でないことを露呈した形になっていると思う。「白の海へ」がおじゃんになったから、代わりになる仕事をしたかったと言うのは分かるけど、作品は選ぶべきじゃなかったのかな。ブラッド君。別にこれは今更君でなくてもいいよね。どんなふうに口説かれちゃったんだか知らないけどさ。でも個人的にはコーエン兄弟の仲のブラッド像がこんなんで非常に好感が持てた。ブラッドの仕事やブラッドと言う人をよく観察しているなと思った。本人はかなり腑に落ちなかったらしくて、それが演技の切れの悪さにも繋がっていると思うんだけど、、私にいわせりゃそんな役以外、君にぴったりくるのはないと思うけどね。今も昔も。あんまりコーエン兄弟が描くブラッド像が頭悪くてうっと―しいから、早く死んでくれと思いながら観ていたよ。ブラッド・ピットの「白の海へ」は、それはそれで観てみたかったとは思うけどね。時節柄、制作できなくてもしょうがない。まだ少し先でもあの役は出来るんじゃないかな。

 私がこの映画で一番好きだったのは、CIAの上層部がこの一連の事件に関して不可解そうに会話するシーン。一番観客寄りな視点で、あの場面に来るとホッとするくらいだった。J.K.シモンズは私の好きな俳優の一人。「スパイダーマン」で好きになって、コーエン兄弟の作品にもこれで何作か目だから、同じく気に入られてはいるんだろう。キャラにそれほど幅はないかもしれないけれど、味のある俳優さんだよね。

 フランシス・マクドーマンドは大変な人を旦那さんに持っちゃったなと同情する。あんな役は確かにちょっと他の人には頼めないもんね。

 終わった時には心底ほっとしたよ。女遊びがバレてめそめそするクルーニーなんかとんでもなくうっとーしかったし、マルコビッチによる不毛な殺戮が始まった日には早く終わらしてやってくれと懇願したい気持ちになったまさにその絶妙なタイミングで、J.K.シモンズなど良識ある人々によって、くだらない茶番劇に終止符が打たれ、とトカゲのしっぽを切るみたいにズドンと作品の幕が落ちる。
 それがこの作品に用意された救い。終わった後彼らがどうなったかなんて考える余韻を持たせる余裕など全くないまま、劇場をそそくさと後にさせられるなんとも不愉快な一作だった。

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「007 / 慰めの報酬」 [watching]

 ソニーピクチャーズになってから、これまでのイメージを払拭しようと言う野心自体がこの作品のイメージになってしまっていると受け取れるほど恥ずかしげもないこだわりが露わになっている。
 けど、成功したと思うよ。特に、立て続けに2作を輩出するというマーケティングは既概念の払拭、新イメージの定着、両方の戦略において有効だったと思う。監督としては「カジノ」と「慰め」で1作品とみなしたい考えだったみたいだから、そこの判断を覆した人こそ讃えられるべきだろうね。

 新しいボンドは人間臭いのが特徴で、たぶんそこが一番の面白みになっていると思う。恋愛に関しては
子供っぽいと思うくらいストレートで、そんなんではスパイになれんだろと思うくらいだが、新しい007に関してはそれもコンセプトなのかも。前作で、007ともあろうものが、一公務員に本気で恋したり、嫉妬したりする姿は観てて愉快だった。あと、私が個人的に最もこの作品で気に入っている点の一つにくだらないジョークみたいのが出てこないことだ。今までのだと絶対必ずどこかしらにコメディの要素が入ってくる。そうしなきゃいけない契約になっているとでも言うがごとく必ずそういうワンシーンが入っている。007の取る笑いなんて誰も期待しなくない?007のチャーミングさをアピールしたいんだろうけど、かわいらしい魅力なら他にいくらでも表現のしようがあると思うんだけど。

 そんな人間臭い新生ボンドがバンバン人を殺していく様子はまさに痛快だった。Mにがみがみ言われながらも、完全に個人的欲望のはけ口として目の前の敵を惨殺していく。それでも、そんなむごたらしさをあまり感じさせずスタイリッシュなアクションの見せ場に仕立て上げられているところがすばらしいと思った。アクションシーンは本当にかっこいいよ。冒頭のカーレースの場面もそうだけど、トスカーナのお祭りを舞台にしての追跡劇も見物だった。個人的にはあんなとこであんなことしたらその時点で諜報員アウトだと思うんだけどね。いい加減目立ちすぎでしょう。地元警察に目を付けられるはおろか、民間人の犠牲者まし出しちゃって。スパイはもっとこそっと、少なくとも民間人に迷惑かからないように仕事するもんじゃないの?でなかったら、身元隠して諜報活動する意味ないよね。

 ピアース・ブロスナンが007を始めてから、どっかの雑誌で紳士服のモデルに使われているのを見て笑った記憶がある。まんま007だなと思って。けど、ダニエル・クレイグの場合は逆。あまりにも決まったスーツ姿で画面に出てきた途端に紳士服の広告が歩いているように見えてしまう。多分、かっこよく着過ぎてて、生活感なさすぎな雰囲気に違和感を覚えるんだと思う。どこを切り取ってもいかにもモデルでございって感じになっちゃってて、それが形で風切ってで歩いて来るのがまたおかしい。
 で、なんだってこんなにお仕着せのモデルっぽさ丸出しなんだろうと思ったら、プログラムに衣装は全部トム・フォードだって書いてあって納得した。どうりでそんなにいやらしいわけだ。なんかもうどんな服も全てmm単位で寸法測って裁断しましたって言うくらいぴっちりしてて、どうでもいいけどそんなかっこいい恰好で肉体労働者しかいないような港湾を盗んだカブみたいなバイクで流してたら目立ってしょうがないだろうと思って腑に落ちなかった。けどさあ、パーティー服とか、公務で着させられる服がみんなトム・フォードって言うのはなんかもう、「あー、そうなんだ?」って感じだけど、でも諜報員の私服もトム・フォードって言うのは贔屓目に考えても気持ち悪いよね。

 個人的には今回のヒロインの女の子はあまり好きじゃなかった。じゃあ、どんなんがよかったかと言われてもあれなんだが、もっと繊細な表現の出来る子だったらよかったなと。そう思う。かたくなな表情ばかりが印象に残ってしまって、も少し彼女の人間性に惹かれるようなハッとさせられるような表情とかが見れるとよかったんだけど。
 むしろ、ボンドに手を付けられてしまったがばっかりに、むごたらしい拷問をされて死んでしまった女の子の方が私の好みだったかな。女の子としてのキラキラ感があって。あれはまあ、比べてしまえば簡単な役ではあっただろうけど。

 ソニーピクチャーズになったからだけど、ちょいちょいソニーデバイスが出てきて私の失笑を買った。そんなクリティカルな場面にソニー製品なんかまず使わないだろうと思うのは私だけだろうか。ソニー製品がプロ事業で通用するのって、放送業界だけな気がするから。

 007は決まって主題歌のPVみたいなイントロを挟んでから始まるけれど、今回は観に行くまでジャック・ホワイトが歌ってるって知らなかった。そう言えば、アリシア・キーズとデュエットするってどっかで読んだななんてぼんやり思ったけれど、すっかり忘れてた。音楽的にも似てる所があるわけでもないし、お互い個性が強いし、二人が一緒に仕事をしようと思う接点が分からんななんて思ったけれど、しかしこれが楽曲として重なるとスゲーーかっこよかった。所詮二人ともソニーレーベルという接点でしかないのかもしれないし、本人や周りがなんと評しているのかは知らないけれど、私は想像していた以上の相乗効果だなと思った。

 スタイリッシュなアクション映画と評すると、また友達に「どこのコピー屋…」と呆れられそうだけれど、まさにそんな胡散臭いコピーがぴったりなほどスタイリッシュに出来上がっている007だ。見事に脱皮したと思う。既にダニエル・クレイグに付いているハード・ボイルドなイメージをうまく作品に組み込めたと思う。
 成功してしまったがために、そしてまたボンドを非常に人間くさく作ってしまったがために次のハードルはかなり高くなると思う。この作品で描いたのは、完成されたボンドではなく、人間として未完成なボンド姿だ。と言うことは、これ以降の作品ではボンドは成長していなくてはならないだろう。もしくは、成長の過程を目に出来なければならないだろう。
 個人的には、Mにピアース・ブロスナンの頃から引き続いてジュディ・デンチを使っているのも、今まで007になかった人間臭さを演出するエピソードを担っていると思う。Mは同じ。でも、007は別人。否応なしに配置転換、人事制度を彷彿とさせられた。年老いて傷ついた007は引退し、若くてまだ傷つきがいのある新しい007が入ってくる。新しく入ってきた007をMは扱いにくいわと頭を悩ます。今回の2作品はそんなふうにも取れて、007を単なるおとぎ話ではなく、もう少し自分に身近な日常に重ね合わせて観ることを可能にしているようにも思える。
 しかし、所詮は「セールス」の世界の中の「商品」。次回作にどこまでプライド賭けて真面目に作るかしらね。

 イメージを覆すために図らず時も自ら高くしてしまったハードルを企業がどう乗り越えるのか。
 次を楽しみにしたいと思う

 ちなみに、この邦題はよかったと思う。タイトルと中身が寄り添っている。頑張って考えたと思うよ。その辺からしてソニーピクチャーズの気合いの入り様が覗えるね。

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「チェ 39歳別れの手紙」 [watching]

 冒頭、カストロがゲバラの手紙を読み出すのにはびっくりしたが、その後、我慢して「28歳」のゲリラ戦のコピーを2時間も見させられて改めて思ったのは、やっぱりあの時エンドロールが流れてればよかったのでは?ということだった。
  誰なんだよ、この一連の邦題考えた奴。全然「39歳」とか「28歳」っていうマイルストーン自体に意味もなければ、「別れの手紙」も作品の内容には全く関係ないじゃん。そもそも2部の方は、原題「Guerrilla」だよ。原題そのままだったら観る前から内容間違わずに伝わったのに。ちなみに1部の原題は「Che The Argentine」。ちゃんと作品の言いたいことが全部詰まった台になってるのに、それをわざわざセンスのない邦題に蹂躙される原題のメッセージ。商業的な要素にばっか気を遣ってて、作品の内容を伝えるという本来の目的を完全に失っている。ほんとこの邦題付けた奴誰なの。無責任にもほどがある。
 タイトルから受け取るイメージって作品にとっては顔なわけじゃない。もっとことの重大さをちゃんと理解した上でつけてほしいよ。

 作品は「28歳」がそうであったように、いきなり、何の説明も、猶予もなく、脈略もなく、観客は「革命」の中に放り込まれる。
 ゲバラに何があって、キューバを、カストロを決別せしめ、彼をまた別の戦場へと身を投じさせ高の説明は一切なしに、いきなり家族を捨ててボリビアに行く。しかも行く時点でかなり無理っぽい雰囲気がぷんぷんだった。当時もそうだったのだろう。なぜそうまでしてわざわざ負け戦を選ぶのか、そのモチベーションの裏付けは自分で調べてくださいという方式の作品だった。そういう作品のあり方は「28歳」と同じでブレがないから、同一作品として続けて観る分にはむしろその一貫性を褒めるべきかもしれない。

 なぜなんだろう。なぜそうまでして他の国のことに首を突っ込みたがったんだろう。所詮はよその国のことじゃんか。しかもキューバでの勝利は彼らの革命計画の初めの一歩だっただけに最重要なものであったにも関わらず、その革命が意図した志は結局道半ばにして折れるという悪しき例になってしまった。
 いざ革命起こして独立してみたがいいわ、キューバはあっさり大国の前に跪く。ばかりか、別の大国の番犬になり下がってしまい、またそうあることでしか国際社会に主張できないラテンアメリカ諸国の小ささにゲバラは失望したことだろう。もともとの野望の大きさや、独立するまでの道のりで流された血のことを思えばなおさらだ。彼はカストロと違って、自らが一兵士と肩を並べて、同じ飯を食って、死線をさまよいながら得た、崇高な理想へと引き上げる勝利であったはずだ。それが結局、小さな国の革命は、別の大国の思惑にあっさりと喰われてしまう。
 故郷を捨て、家族を捨て、よその国に煙たがられてまで目指した理想が何だったのか、個人的にはそれをもっとゲバラと言う人物像の軸に置いてほしかったが、どうやらこの作品に対するそもそもの観点自体が監督のそれと大きく違っていたということに売れ残りのプログラムを読んで気付かされる。
 曰く、「偉大な思想を行動に移そうとするときに伴う、技術的な困難に興味があったんだ」
 ふむ、これはつまり、とりもなおさず、ゲバラが真綿でじりじりと首を締めあげられていく過程を撮りたいということに他ならないと私には受け取れる。
 技術的な困難も何も、ボリビアの失敗は、裏切りや部下の失策や、当てが外れるといった、単純なだけに不可逆的な負の連鎖であって、技術なんてものではないと思うけれど。この映画でもよくよく考えさせられたのは、政治ってのは人の思惑が作るシステムなんだよ。ゲリラ戦の技術に長けてりゃどうこうって話じゃないと思う。それはもう先陣を切ったキューバですぐに露見した事実じゃないか。
 ゲバラって、本当に「いい人」だったんだな。
 どんな志を持っていて、何ができる人だったかをこうして知っているから、無教養なボリビア人のために死ぬなんて勿体なかったと今は思うけれど、でも、本人は革命の火に身を投じてそれに焼かれて死んだのだから、たとえそれが道半ばであったとしても、道に大きくそれて死ぬよりかは本人の最期としてはよかったんじゃないだろうかと考える。

 映像のクオリティは、戦場となった山の中での映像が映るたびに気になっていたので、それなりの新技術を投入したっぽい記事を読んでそうなんだと思った。
 全部にピントがあってるんだよね。映ってる画面の全体にくまなくピントが合っている。それっていかにもデジタルの仕事なんだけど、それでいてデジタルらしい目障りなちらつきは少ない。ソダーバーグが好きなホワイトバランスの強い色味のせいかとも考えた。

 印象深かったのは、山岳地帯を逃げまどいながら、とある村に駐留したときに、ゲバラが村の子供を相手に戯れる場面があるんだけれど、そのときのゲバラと言うよりは、デル・トロの表情が新鮮で忘れられない。彼自身が子供みたいに初々しい表情をして、それが線上にはとても似つかわしくないものに見えたから。デル・トロは子供が好きなのかしらと思わせる場面だった。そうであるといい。本人は子供がいるのかな。子供と共演していて印象深かったと言えば、「ゼア・ウィル・ビー・ブラッド」のデイ・ルイス。息子役の男の子と戯れている時の彼も、とても優しい表情を浮かべていて胸を打たれた。それと同じものを見た気がする。

 ゲバラ自身、5人も子供を作ったのだから子供好きであったのかもしれない。もしくは単純に否認をするという文化を持たない人々だったのかもしれないが、プログラムの最後に子供たちに向けて書かれたとされる手紙を読む限り、子供をたまたま作ってしまったと言うだけではないのだろうという気はしている。
 ただねえ、この手紙のさしている子供たちって言うのが、キューバで知り合った女性との間に出来た子たちだけなのではないかと思って、そう考えると最初の妻との間に出来た子供がとても不憫に感じて、悲しい気持ちになる。
 ゲバラ本人曰く、「女を好きにならないくらいなら、男をやめる」と言うくらい女性が好きで、愛のない革命家なんて偽物だというくらい、愛に溢れた人だから、どの妻のどの子供も、平等に愛情を傾けたと思いたい。
 そうでないとアルゼンチンにおいてきた家族があまりにかわいそうだ。

 ゲバラが息を引き取る時の場面、一度私もああいうのを夢に見てとても怖い思いをした。愛する人に別れを言う間もなく終わってしまう焦り。私の場合はパニックに近かったかな。どうしようと気ばかり焦っていたので、痛みや恐怖は全く感じなかった。とにかく、家族や、愛してる誰にも何も言えず、理不尽に、永遠に、すべてを終わらせられてしまう状況に戸惑い、焦っていた。
 ゲバラの場合、捕まった時点で銃殺を予想していただろうから、彼の魂は、心を乱されることなく逝けたことを願うけれど、歩哨に立っている兵隊を懐柔して、死の間際まで生き延びることをあきらめなかった姿勢を思い出すと複雑な気持ちがする。
 確かに夢半ばではあったけれど、それでもなお、彼が悔いなく、最期を迎えられたことを願う。

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